[注釈]
* comme la tombe... : formidable et rassurante という印象を与える事例が列挙されていますが、「試みに」以下のように訳してみました。
* les seuls profonds exe’ge`tes (...) l’orgue et le violoncelle. : d’inutiles commentaires を加えない、という文に続くところですから、これも以下のように訳出しましたが、適当であったのか、自信はありません。
[試訳]
教会をめぐる夢もあります。そこには、壮麗であるとともに、どこかほっとする大聖堂がいつも姿を見せます。星が輝く夜、窪地がそこここにあって、いくつか亡骸も見えるお墓にも、そんな風情がないでしょうか。その仄暗い教会堂を、ある時は内側から眺めています。灯明がいくつも灯されていて、荘厳な響きにも似た沈黙があたりを満たしています。また外側からお堂を眺めていることもあります。お堂の扉は、鍵を持たない巡礼者には固く閉ざされていて、内陣深く入って行くことを許してくれません。くわえて、池の夢。これは唯一子供時代にさかのぼる夢で、しかも寸分違わず年ごとにくり返される唯一の夢です。そして恋の夢もあります。私から余計な注釈はあえて加えないことにします。恋が今までに生み出して来た解釈者の深い洞察だけが、ふさわしい伴奏を果たしてくれるでしょうから。こうしたさまざまな夢はまた、その間でおたがいに結びつきもするのです。野心の、恋の、死の夢は、しばしば大聖堂の内部に位置づけられます。また池の夢は、神々しい畏怖の夢でもあります。うら哀しい幸福の夢は、きまってどこかのバラ色の空のもとでくり広げられるので、それとわかるのです。そして至福の夢。まだたった一度しか見たことがありませんが、一度目にしたら忘れられない青だけが目蓋に残っています。
…………………………………………………………………………………………………….
実はかなり長いこの序文が締めくくられる直前で、こうして夢という、ある意味でかなり個人的なものを公表する理由を、ユルスナールはこんなふうに述べています。そうした夢の核心は << n’e^tre perceptible que pour moi seule. >>。 ですから、註で取り上げた箇所などが難しく感じられるのも無理もないことと思います。
それでは、次回は dix milles autres. まで(ただし* の原文註は含まない)としましょう。テキストわずかながら残ってしまいますが、目をつぶることにします。終了時間を過ぎて授業を続けることほど、今時の学生に不評を買うことはないのです。
ここ大阪はまだ比較的おだやかな初冬を迎えていますが、フランスでは先週から、ニュースのトップ項目が厳しい寒波による被害・影響などであることが続いています。そんな関西も、来週半ば頃からはかなり冷え込むそうです。みなさんも、どうかお風邪など召しませんように。
Shuhei
* comme la tombe... : formidable et rassurante という印象を与える事例が列挙されていますが、「試みに」以下のように訳してみました。
* les seuls profonds exe’ge`tes (...) l’orgue et le violoncelle. : d’inutiles commentaires を加えない、という文に続くところですから、これも以下のように訳出しましたが、適当であったのか、自信はありません。
[試訳]
教会をめぐる夢もあります。そこには、壮麗であるとともに、どこかほっとする大聖堂がいつも姿を見せます。星が輝く夜、窪地がそこここにあって、いくつか亡骸も見えるお墓にも、そんな風情がないでしょうか。その仄暗い教会堂を、ある時は内側から眺めています。灯明がいくつも灯されていて、荘厳な響きにも似た沈黙があたりを満たしています。また外側からお堂を眺めていることもあります。お堂の扉は、鍵を持たない巡礼者には固く閉ざされていて、内陣深く入って行くことを許してくれません。くわえて、池の夢。これは唯一子供時代にさかのぼる夢で、しかも寸分違わず年ごとにくり返される唯一の夢です。そして恋の夢もあります。私から余計な注釈はあえて加えないことにします。恋が今までに生み出して来た解釈者の深い洞察だけが、ふさわしい伴奏を果たしてくれるでしょうから。こうしたさまざまな夢はまた、その間でおたがいに結びつきもするのです。野心の、恋の、死の夢は、しばしば大聖堂の内部に位置づけられます。また池の夢は、神々しい畏怖の夢でもあります。うら哀しい幸福の夢は、きまってどこかのバラ色の空のもとでくり広げられるので、それとわかるのです。そして至福の夢。まだたった一度しか見たことがありませんが、一度目にしたら忘れられない青だけが目蓋に残っています。
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実はかなり長いこの序文が締めくくられる直前で、こうして夢という、ある意味でかなり個人的なものを公表する理由を、ユルスナールはこんなふうに述べています。そうした夢の核心は << n’e^tre perceptible que pour moi seule. >>。 ですから、註で取り上げた箇所などが難しく感じられるのも無理もないことと思います。
それでは、次回は dix milles autres. まで(ただし* の原文註は含まない)としましょう。テキストわずかながら残ってしまいますが、目をつぶることにします。終了時間を過ぎて授業を続けることほど、今時の学生に不評を買うことはないのです。
ここ大阪はまだ比較的おだやかな初冬を迎えていますが、フランスでは先週から、ニュースのトップ項目が厳しい寒波による被害・影響などであることが続いています。そんな関西も、来週半ば頃からはかなり冷え込むそうです。みなさんも、どうかお風邪など召しませんように。
Shuhei