フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

ジョーン・バーガー「モネ、彼方の画家」(1)

2011年02月23日 | Weblog
 [試訳]
 
 モネを見つめ直すとしたら、彼の作品のひとつが出がかりとなるだろう。「死の床のカミーユ・モネ」32歳で亡くなったモネの最初の妻だ。枕に頭をのせ、顔にはベールがかかっている。口や目は閉じているのでも、開いているのでもないが、肩は沈んでいる。色合いは、雪が降る小高い丘(枕)に沈む太陽の、青白い光りと影が織りなす色調だ。斜めに走る幾筋もの細い線に、筆遣いが見てとれる。死によって引き起こされた風雪を通して、私たちはカミーユの不動の顔を眺めている。死者を描いた絵の多くは私たちの思いを葬儀に向かわせるが、この絵はそうではない。旅立ちを、彼方への出立を主題としている。この喪の絵画は、見るものをもっとも揺さぶる作品のひとつである。
 カミーユの早過ぎる死の10年前に、モネは雪で被われた畑の一隅を描いている。画面の奥、一羽のカササギが、ちょっとした柵に止まっている。モネはこの絵を「かささぎ」と呼んでいた。私たちの視線は、黒と白のこの小鳥に引きつけられる。というのも、かささぎは画面の焦点となっているばかりか、今にも飛び立とうとしている様子がわかるからだ。まさに旅立とうとしている、彼方に飛び去ろうとしている。
 カミーユの死後1 年して、モネは、厚い氷に閉ざされたセーヌ河が雪解ける様子を何枚も描いている。それは、それ以前にも取り込んだことのあるテーマだった。一連の絵をモネは「解氷」と呼んでいた。画家は、厚い一枚の氷が割れ、とりわけそれが砕けてゆく様に魅せられていた。雪解け前には、氷は固く不動のままで、まとまった形をたもっていたのだが、今や、形を成さず、河の流れが氷をさらってゆく。
 流されてゆく、砕けた青白い氷のいくつかは、流れに浮かぶ真っ白い画布のように、私には思える。モネも同じことを考えなかっただろうか。そんなことは分からないだろうけれど。
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 今回は、7名もの方に訳文を披露していただきました。みなさん、いずれも正確な訳で、いつもの「注釈」としてこちらからとくに付け加えることは、困ったことに、なにもありません。「困る」こともありませんね。これぐらいの文章なら、的確に読みこなすフランス語読解能力を、それぞれお持ちなのですから。Bravo ! です。
 
 それで、今回も、最近手にした本の話をします。辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社)を最近読みました。これもよくある東大ブランド・グッズなわけですが、その中身は、小説というものの誕生と生成、とくにこの日本における近代小説の誕生(「第二講義」)を、実作の具体的な分析を通じて論じた、大変読み応えのある講義録でした。くわしくは、池澤夏樹さんの書評をご参照下さい。
 http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2011/02/20110206ddm015070006000c.html
 
 上記の書評で、池澤さんはあの『悪魔の詩』を扱った「第八講義」がもっともおもしろかったと述べていますが、ぼくももっとも強く引き込まれたのは、この部分でした。同作品は、筑波大学の英文学者でもあった翻訳者五十嵐一氏の何者かによる暗殺によって、日本ではそのタイトルを記憶に刻み込まれた人も少なくないはずです。これは当時のイランの指導者によって冒涜の書として激しく糾弾された小説でした。
 そのことに関連して、辻原はこう書いています。フィクションを綴ったことを許されない罪と看做すことは、現代人にとってはまさに狂信的行為ではないか、という疑問に対して、こんな問題提議をしてます。
 「しかし、どうでしょうか、どこか全感覚で得心できるような物語を持たなければ、人間としての生存、つまり、言葉、精神的存在が危うくなる。それが我々人間という存在です。そういう意味では、イスラムの人たちこそ言語の真実のそばにいると言えます。
 ラシュディの『悪魔の詩』というテキストは、イスラムの起源のテキスト、コーランをからかいの対象とすることによって、イスラムの起源というフィクションを揺るがした。(…)この起源を否定したり、壊すためには、もうひとつの起源の物語を、言葉、パロディという形でつくってそれを揺るがすしかない。
 フィクションは、まじめに受け取るべきセンセーショナルナ真理を含んでいるということ。このことを肝に銘ずべきなのです。」(p.311-12)
 この問題を「死」への問いと著者は結びつけます。
 「私がこの世に現れたのは偶然です。しかし、私の死は必然。私は死を逃れることができない。だからこそ謎を構成する。偶然と必然、この両端の間に人生がある。(…)死を謎として設定したとき、その解を求める心が現実を[つまりは、フィクションを: shuhei 注]構成します。真理と真実は現実の中にあり、それはいくつもあるのではなく、たったひとつです。我々は、真理や真実を捕まえたいと思っている。そのために物を考え、生き方を考えています。」(p.313)
 
 実は、この本に続いて、本棚にしばらく放置してあった高橋源一郎『ニッポンの小説 百年の孤独』(文藝春秋)を読んでいます。この本の大部分は、とくに断られていませんが、東京都内の某大学で行われた講義が元になっているようです。そして、日本近代文学誕生に際してのフタバテイの創造行為の意義の再確認など、辻原の『東京大学で…』で扱われたテーマと深い類縁性が見られます。
 そして、「死んだ人はお経やお祈りを聞くことができますか?」と題された章(これは子供たちの死生観を探るために用意されたアンケート項目を章題とした物です)では、ここでも死、特に戦後文学といわれる作品群と死というテーマの関係を辿った上で、古井由吉『野川』の画期的意義が論じられています。
 「わたしの考えでは、『ニッポン近代文学』の『文』や『文法』は、『死』や『死者』を描くことに失敗しています。というか、それらを描くことを回避することによって成立しています。(…)
 この『野川』という、言葉の真の意味で冒険的な作品の中で、作者は、『死者』に近づく『文法』の可能性を探っています。(…)
 我々は、なによりも、我々の『生』に興味を抱いています。そして、『死』や『死者』を描ききれないなら、その反対側に存在している『生』も描きえないことは、明白なように、わたしには思えるのです。」(p.146-7)
 実は、古井由吉はぼくのもっとも敬愛する、もっとも親しんできた作家であり、また同書は、勉強に身が入らなかったある年の(毎年のことなのですが)の夏、味読していた作品です。その上、たしかおなじその夏に、この教室を始めたのだと記憶しています(でもひょっとしたら、それは同じく古井の作品『辻』を読んでいた夏のことかもしれませんが…)。
 さて、次回は、ou e'treigant leurs sujets. までとしましょう。3月9日に試訳をお目にかけます。
 Shuhei