フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

「日本から発せられた黄信号と赤信号」(2)

2011年05月04日 | Weblog
 [注釈]
 
 * leurs dirigeant sont remercie's par des salaires e'poustouflants. : ここは、受動体の現在形になっていること、かなり嫌みの利いた e'poustouflant という形容詞を考えると、remercier は、文字通り「感謝する」と取った方がいいのではないでしょうか。
 * nucl'eaires et trop grandes et trop dangeureuse pour fallir : ここで et が二度使われているのは誤植ではありません。たしかに、nucle'aires, trop... et trop...とすれば 最初の et は必要ありませんが、ni...ni... と同じだと考えられます。
 * les outils (...) ne sont plus conviviaux : この convivial は、少し特殊な意味で facilement utilisable par un public non specialise' 。
 * ここは、巷にあふれる「想定外」という言葉が示すように、nulle part 以下は「否定」と捉えるべきでしょう。
 * L'argument de l'efficacite' pour la croissance... : ここも文脈からすると、原子力発電の「効率性の議論」のことでしょう。
 * notables barde's de vert : ここの barde' は、 barde' en de'coration などと同じ用法です。環境への配慮を「売りに」しているとでも言えばいいでしょうか。ただし、ニコラ・ユロは、つい先日、2012年の大統領選への立候補表明とともに、原発廃止論者に「転向」しました。

 [試訳]
 
 2001年の9.11.が政治的なテロリズムの表明であったとすれば、3月11日の放射能汚染の恐怖は、一種の産業主義のテロリズムであろう。それはまた2008年の金融ショックと関連づけられもするだろう。当時余りにも巨大であるがために潰せない(too big to fail)銀行の役割が強調されていた。それは、大企業と同様、銀行の拡大、投資、利潤追求の果てしない競争の結果であった。2008年、先のスローガンは、銀行の再浮揚を理念的に正当化出来ない自由主義者たちの政府の言い訳に利用されたのだった。国の金庫には社会保障に充てるお金がなかったのもかかわらず、大銀行のためとあればお金は捻出され、それは驚くべき利益と結びついたし、銀行のトップたちも呆れるほどの高給によって報われることとなる。巨大すぎるがゆえに潰せないような銀行は存在してはならない、とアンドレ・オルレアンは言った。原子力があまりに強力で、あまりに危険であるがために潰せないのであれば、そうした巨大企業も、発電所も、本来は存在してはならないのではないか。これが赤信号である。
 こうした見方はイリイチ(1973年)の思想と完全に一致する。イリイチは、あまりに巨大な道具はもう使い物にならないと考えた。つまり、そうしたものは私たちの役に立つどころか、私たちを奴隷にしてしまうのだ、と。今般の事故をテロと言ったのは、日本ででもフランスででも、原子力の選択が議論になったことがなかったからだ。経済成長のための有効性の議論が、自由主義イデオロギーのエリートたちや社会主義イデオロギーのエリートたちの寡頭政治を、資本主義や社会主義と結びつけた。通常の稼働状態であれば環境に対する影響が少ないことを口実に、ニコラ・ユロのような環境を売りにした著名人も原子力発電を支持して来た。3.11は、こうした共謀に対する赤信号である。
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 前回ここで話題にした辺見庸さんですが、4/24のNHK「こころの時代」という番組に出演されていました。3.11. 後、辺見さんがどのような思考を、世界の感受を、いわば「課せられた」のかを語っていました。大震災後メディアで語られた言葉の中で、もっとも胸に響く言葉の数々を聴くことが出来ました。
 ちょうど「外国語学習とはなにか」という小文を書きあぐねていた時だったので、こんな発言が耳に残りました。「言葉というものは単なる道具ではない。言葉というものは、人に対する関心の表れだと思う。」
 デジタル放送に移行されている方は「オンデマンド」でこの放送をご覧になれますが、それが難しい方は、一報下されば、録画したDVDをお貸しします。ただし、DVDプレーヤー(あるいはパソコン)がCPRM方式に対応していなければ、再生はできません。
 それでは、次回5/18には、残りの試訳をお目にかけます。それから、週末にはつぎのテキスト Roland Barthes <<La chambre claire>>をお送りします。同書を扱うのは二度目です(前回は2007年でしたか?)が、今回は、断章 29番以降を読みます。
Shuhei