[注釈]
*titre ge’ne’ral : 『失われた時を求めて』という一大長編小説のタイトルのことです。その第一巻のタイトルが『スワン家の方へ』です。
*je l’ai tache’ isoler : ここは辞書的な用法から考えると捉えにくいですね。やはり、本来はsubstance invisible な時間というものを「取り出す」という感じでしょうか。
*il fallait que l’expe’rience pu^t durer. : もちろん il faut que +sub.。現在形なら、il faut que l’expe’rience puisse durer となりますが、主節が半過去なので、接続節内が接続法半過去pu^tとなっています。
*tel petit fait....tel mariage : このtelは、ネタバレにならないように後の名詞の特定を避ける意味合いで使われています。「とある」ぐらいに当たるでしょうか。
* certains patine’s de Versailles : patine は時の経過を跡づけるものの象徴です。プルーストは 『失われた時を求めて』という総題を決定する前には、『心の間歇』というタイトルを考えていたことはよく知られていますが、さらに遡ると、『緑青の輝き Reflets dans la patine』という題名もその候補にのぼっていました。
[試訳]
私が出版した『スワン家の方へ』は長編小説の第一巻に過ぎません。その長い小説全体は『失われた時を求めて』という総題を持つことになります。できればまとめて出したかったのですが、作品を何巻にも分けるようなことはもうしてもらえません。私は、たとえば現に住んでいるアパルトマンには大きすぎるタビストリーを持っていて、それをしぶしぶ裁たなければならない人のようです。
年若い作家たちは、もちろん私も彼らと相通じるところがあるのですが、逆に登場人物のごく少ない単純な話を薦めてくれました。でもそれは私が考える小説ではないのです。どう言いましょうか。ご存知のように、平面幾何学と空間幾何学がありますね。例えていえば、私にとっては、小説というものは平面心理学だけではなく、時間における心理学でもあるのです。時間というこの目に見えないものを取り出してみせようと努めました。でもそのためには、経験が持続するものである必要があったのです。作品の最後で、取るに足らないある社会的な出来事が、第一巻ではまったく違う世界に属していた二人の人物の間のとある結婚が、時が流れたことを示してくれるといいと思っています。そうしてヴェルサイユの緑青を帯びた鉛の調度のあの美しさを表してくれればいいと思っています。あれは時間がエメラルドの鞘に納めたものなのですから。
……………………………………………………………………………..
今回は教室が賑やかになって、やはりうれしいものですね。Massakiさん、またそちらでの学生生活の様子も教えて下さい。
先日5月2日にベルギーのダルデンヌ兄弟監督作品『自転車と少年 Le Gamin au ve’lo』を見てきました。ちょっとした印象をツィートしましたので、よかったら https://twitter.com/#!/hioki をのぞいてみて下さい。
それでは、次回はcontredite par elle. までとしましょう。23日に試訳をお目にかけます。Shuhei
*titre ge’ne’ral : 『失われた時を求めて』という一大長編小説のタイトルのことです。その第一巻のタイトルが『スワン家の方へ』です。
*je l’ai tache’ isoler : ここは辞書的な用法から考えると捉えにくいですね。やはり、本来はsubstance invisible な時間というものを「取り出す」という感じでしょうか。
*il fallait que l’expe’rience pu^t durer. : もちろん il faut que +sub.。現在形なら、il faut que l’expe’rience puisse durer となりますが、主節が半過去なので、接続節内が接続法半過去pu^tとなっています。
*tel petit fait....tel mariage : このtelは、ネタバレにならないように後の名詞の特定を避ける意味合いで使われています。「とある」ぐらいに当たるでしょうか。
* certains patine’s de Versailles : patine は時の経過を跡づけるものの象徴です。プルーストは 『失われた時を求めて』という総題を決定する前には、『心の間歇』というタイトルを考えていたことはよく知られていますが、さらに遡ると、『緑青の輝き Reflets dans la patine』という題名もその候補にのぼっていました。
[試訳]
私が出版した『スワン家の方へ』は長編小説の第一巻に過ぎません。その長い小説全体は『失われた時を求めて』という総題を持つことになります。できればまとめて出したかったのですが、作品を何巻にも分けるようなことはもうしてもらえません。私は、たとえば現に住んでいるアパルトマンには大きすぎるタビストリーを持っていて、それをしぶしぶ裁たなければならない人のようです。
年若い作家たちは、もちろん私も彼らと相通じるところがあるのですが、逆に登場人物のごく少ない単純な話を薦めてくれました。でもそれは私が考える小説ではないのです。どう言いましょうか。ご存知のように、平面幾何学と空間幾何学がありますね。例えていえば、私にとっては、小説というものは平面心理学だけではなく、時間における心理学でもあるのです。時間というこの目に見えないものを取り出してみせようと努めました。でもそのためには、経験が持続するものである必要があったのです。作品の最後で、取るに足らないある社会的な出来事が、第一巻ではまったく違う世界に属していた二人の人物の間のとある結婚が、時が流れたことを示してくれるといいと思っています。そうしてヴェルサイユの緑青を帯びた鉛の調度のあの美しさを表してくれればいいと思っています。あれは時間がエメラルドの鞘に納めたものなのですから。
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今回は教室が賑やかになって、やはりうれしいものですね。Massakiさん、またそちらでの学生生活の様子も教えて下さい。
先日5月2日にベルギーのダルデンヌ兄弟監督作品『自転車と少年 Le Gamin au ve’lo』を見てきました。ちょっとした印象をツィートしましたので、よかったら https://twitter.com/#!/hioki をのぞいてみて下さい。
それでは、次回はcontredite par elle. までとしましょう。23日に試訳をお目にかけます。Shuhei