フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Ecouter Haendel (5)

2012年10月18日 | Weblog
 [注釈]
 
 *non, ce n'est pas sans doute pas cela. : この部分は、医師から下された暫定的な診断結果と解釈しましたが、あるいは「私たち」の不安に抗する思いなのかも知れません。
 *Premiers larmes, d'incertitude. Premiers assauts de l'imagination : midori さんの心に迫ったのはこの anaphore でしたね。先のフランス大統領選中のHollande 対 Sarkozyの公開討論の場で、前者が<<Moi, le Pre'sident de la Re'publique... >>と、anaphore を力強く使っていたのが印象的でした。下記でその映像の一部を見ることが出来ます。
http://www.youtube.com/watch?v=LoUJLY0PbJ0
 それにしても、この部分のshokoさんの訳には感心させられました。
「初めてのことだった。何故だか涙が流れ、もしかしてという予感に襲われたのは。」

 [試訳]
 
 夏が終わる頃、もうすぐ1歳と8ヶ月になるギャランスを私たちは病院につれてゆき、染色体の検査のために採血をした。ギャランスは膝に乗せていた。それは誰にとっても落ち着かない時間だった。ギャランスをおとなしくさせるために、私たちはあの子が大好きな唄を歌った。ギャランスははやし唄や子守唄がお気に入りで、私たちはそれまでも何度もくり返し歌ってやっていた。
 新学年は、海外で暮らしていたのだが、そこで不安を募らせながら、私たちは長い間検査結果を待っていた。たいてい、そうした結果はハッキリとしたものでも、明確なものでもなかった。「X染色体が脆弱である疑いがあります」とはじめは告げられた。再検査...。しばらくすると、「あるいは、そうではないのかもしれません」友人や、親類縁者、知識や経験がありそうな人々に尋ねてみても、答えは返って来ない。そして今度は精密な診断を何度も受けることになる。初めて訪れた待合室で、普通とは違った、見ていて心配で、不安にかられる、病んだ子供たちの姿を目にした。初めて心細さから涙が流れた。初めてよくない想像に襲われた。
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 さて、前回お知らせしたように今日は小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書)をご紹介します。
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2881683
 語りおろしを思わせるようなこの浩瀚な論考は、毎週末官邸周辺で行われている反原発デモの意義を探ることを主な目的として書かれています。ところが、小熊がこうしたテーマを扱うと、現代日本社会の歴史的位置の確認からはじめ、いわゆる欧米民主主義の発生と発展、その諸形態までをも通覧した上で、あらためて議会制民主主義を補完、刷新さえするデモの意味が、500ページ以上にわたって問われるのです。
 少しだけ同書を引用しておきます。
 「現代日本語の「格差」というのは、単に収入や財産の差のことだけではなくて、「自分はないがしろにされている」という感覚の、日本社会の構造に即した表現でもあるといえます。…
 …既得権者をひきずりおろして君たちに分け前を与える、と宣言する僣主に期待しても、すぐに期待は裏切られるでしょう。「誰かが変えてくれる」という意識が、変わらない構造を生んでいるのです。...
…みんなが共通して抱いている、「自分はないがしろにされている」という感覚を足場に、動きをおこす。そこから対話と参加をうながし、社会構造を変え、「われわれ」を作る動きにつなげていくことです。(p.437-440)
 じつは、小熊さんは、今回ノーベル医学・生理学賞の栄誉に輝いた山中伸弥さんと同い年。そういえば、オバマ大統領も62年生まれでした。この世代の活躍が、社会の実質的な変化を少しずつ促しているのかもしれません。
 さて、次回はp.19 tout ce qui la rapproche de la norme. までとしましょう。今回は、一日遅れとなりましたが、次回は、10月31日(水)に試訳をお目にかけます。Smarcel