フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Jean Clair<<Bonnard>>(1)

2013年02月13日 | Weblog

 [注釈]
 この文章の前半の論理構成をまとめてみると、
  Francais : un seul terme “temps“; l'abstraction des calendriers ; esprit carte'sien ; la chronologie
    Anglais : deux termes distincts ; la touche concre`te du temps ; un esprit empirique ; la me'te'orologie
*つまり、la revanche d'un esrit carte'sien...sur un esprit empirique と la mainmise de la chronologie sur la me'te'rologie は、同じことを言い表しているわけです。
* Son tempo inte'rieur ne s'accorde...que parce qu'il trouve とつながっています。
* さて、selon cette observation ですが、ぼくもここの扱いには困りました。通常le temps chronologique が記憶と強く結びつき、le temps me'te'rologiqueははかなく移ろうだけのものなのですが、Bonnard の絵画、資質は後者を見事の表現している、ということだと思うのです。以下のように試訳してみましたが、またご意見があれば聞かせて下さい。
 
 [試訳]
 私たちはフランス語で同じ言葉(le temps)を用いてお天気(le temps qu'il fait)と時間(le temps qu'il est)を言い表しますし、さらに言うと、私たちは、時の具体的な質感をカレンダーの概念に吸収しているんだと言って来ました。対してイギリス人は、彼らの風景を愛する気持ちや、すばらしい風景画家たちの存在を見てもわかるように、天候と時間を語るのに二つの別の言葉をずっと用いています。そこに私は、本質にこだわるデカルト的精神が、成り行きに寄り添う経験的主義的な精神の優位に立っていることの現れを、ミッシェル・トゥルニエの言葉を用いれば、気象学に対する年代記の支配を見ています。
 こうしたこととは対照的に、ボナールの感受性はまったく気象的であり、散歩の間その創作帳には、ささやかな光のニュアンスや、大気がしっとりするに従ってそんな光が変化する様が書き留められています。それはまるで、お天気が崩れ始めると色を変えるあの子供用の晴雨計のようです。「晴れ渡っていても涼しい。オレンジがかった陰には紅の光が見られる...」ボナール内部のテンポtempoが、そんなにも精密に様々な気象現象の移り変わり、にわか雨や大気の流れに調和するのも、彼の生来の住まいが、時計の抽象的な物言いではなく、瞬間の差異の中にあるからにほかなりません。それは、お天気の記憶は日付の記憶に比べてはるかに頼りないという、あのよく知られた観察にはそぐわないのですが。
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 昨年の春は四年ぶりにフランスを訪れ、3.11はパリ近郊のMeudonで過ごしたことをここでお伝えしました。今春は、ここ岡崎で les vacances studieuses を過ごすことになりそうです。2月27日(水)にこの文章の最後までの試訳をお目にかけて、勝手ながらしばらくお休みを頂くことにします。
 陽射しはようやく少し春めいて来ましたが、青空のもと、両腕を振りかざして頼もしいお日様に目を細める日はまだ遠く、こうして身をすくめている日々がしばらくは続きそうです。どうかみなさんもお身体には気をつけて下さい。Shuhei