[要旨p.19-21.]
愛をめぐる哲学には、極端にも思える対照的な二つの態度が存在します。
一方には、愛が持つ、時としてとどめ難い性的な側面に対する不信があります。アルチュール・ショウペンハウワーなどは、呪われた人間という種を生み続けることになる、女性の愛の情念を断罪していました。もう一方には、愛の宗教であるキリスト教を背景としながら、人を宗教的な跳躍へと導くものとして、愛を肯定する立場があります。
セーレン・キエルケゴールは、愛には三つの段階があるとしました。成就しない誘惑と反復の経験である、審美的な愛の段階。絶対的なものを希求する、永遠の誓いが問われる倫理的な段階。それは、真摯な愛を本質的な運命へと決定づける結婚によって、最後の宗教的な段階へと移行可能となります。
キエルケゴールはレジーネとの恋愛と彼女との婚約破棄によって、身をもって第一、第二の段階を経験し、そして第三段階への移行には失敗したのでした。
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misayoさん、Moze さん、コメントありがとうございました。misayoさんの「キルケゴールの第一段階をうろうろし...」という言葉には上質なユーモアーを感じました。Mozeさんが紹介して下さった『S先生のこと』は、ぼくも各紙の書評などでおおいに食指を動かされていましたが、未だに未読です。これを機に読んでみることにします。
そして、ぼくからも一冊ご紹介しておきます。これもいくつもの書評の出た、注目の俊英の著作、白井聡『永続敗戦論』(太田出版)です。いつものように、ご紹介がてら少しだけ引用しておきます。
「われわれが歴史を認識する際の概念的枠組み、すなわち「戦後」という概念の吟味と内容変更を提案する。震災後、疑いもなくわれわれは、「戦後の終焉」に立ち会っているが、天変地異が自動的にひとつの時代を終わらせるわけではない。かくも長きにわたってわれわれの認識と感覚を拘束して来たという意味で「戦後」はひとつの牢獄であったのだとすれば、それを破るには、自覚的で知的な努力が必要とされる。」(p.34)そうした読者の努力に、著者は「永続敗戦」という概念をもって伴走してくれます。
ところで、「永続敗戦」とはなにか。それは「敗戦の代償をあらゆる手段でもって最小化する(対米関係を除き)という「戦後」の国是」(p.117)を成す、日本社会の根深い構造であり、私たち日本人の意識を枠づける、無意識の欲望とも言えるでしょうか。
ぼくにとって、忘れられない一冊となりました。今学ぶべきところを重点的に再読をしているところです。
さて、次回はp.26 recompose'e. までを、同じように扱いましょう。9月25日(水)までに疑問点、ご意見などを聞かせて下さい。同日また要旨をお目にかけます。
Mozeさん、使用するブラウザによって違うのかもしれませんが、テキストを何度かクリックしてもらえれば、その都度テキストは拡大されます。一度試してみて下さい。Shuhei