[注釈]
*il l'observe... : Tout le reste = l' で、la crise, le choma^ge...はその説明ですね。
*comme au Japon : フランスで「風たちぬ」が公開された折には、日本同様…と言うことです。
[試訳]
宮崎の傑作、「となりのトトロ」や「もののけ姫」とはかけ離れた世界だ。それでもここでもまた、魔法がくり拡げられる。日本の田園風景、日々の暮らしの様子、地震に襲われた町並み、大雨に吹雪。それらを描き出す技量には並ぶものがない。そして、二郎が美しい飛行機を夢見はじめ、あるいは後年それを制作する姿は、空飛ぶものに心奪われる子供に返った宮崎その人であろう。
映画の意図は明白だろう。飛行機は、大海原を越えて人々を運ぶ方が、敵国の都市を爆撃するよりもふさわしいものであることが見て取れる。二郎はトーマス・マンとシューベルトを愛しても、出会ったナチに親しみを感じているようにはけっして見えなかった。実際、二郎が心から情熱を感じる対象は二つしかない。菜穂子と自身が制作する飛行機だ。それ以外は、経済恐慌であろうと、失業や貧困であろうと眺めるだけだ。お腹を空かせた子供たちを可哀想に思っても、すぐに本分に返ってゆく。すなわち、飛行機を作ること。だがそれは、やがて日本の軍事拡張の最前線を担うこととなる。
登場人物たちがくり返し煙草を燻らす「風立ちぬ」は、日本において同じく、嫌煙者たちの怒りを買うことだろう。そのためにこの映画を子供たちから奪うことがあるとしたら、馬鹿げたことだろう。こうした困難な時代に芽生えた平和への祈願は、悪いものであるはずがない。それにこんなにも美しいのだから。
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いかがだったでしょうか。思い返してみれば、是枝監督作品「あるいても、あるいとも」他、Le Mondeに掲載された日本映画評も何度か取り上げて来ましたね。この夏フランスで黒沢清「贖罪」を見て来ましたが、日本映画に対するフランスに暮らす人々の関心には、相変わらず熱いものを感じました。
さて、秋が深まってから、学生たちに紹介した新書をここでもご紹介しておきます。上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』(文春新書)。
同書の「結びにかえて」で著者は、自身の三十年に及ぶ研究者生活を振り返って一種の懺悔を記しています。「女性の状況がこんなにも悪化するのを座視してしまいました。若い女性が子供を産む気になれない社会をつくってしまいました。(...)世の中が困った方向にすすむのを、とめられなかったから、防げなかったから、わたしも共犯者です - ごめんなさい。(...)本書を書くのは気が重い仕事でした。」(pp.334-335)
雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法などが、当初の法的理念から後退し、社会・経済活動を支配しているオジサマ(少数のオバサマ)たちの意に添うようにいかに一部骨抜きにされてきたかなど、この30年の日本社会の変遷を、フェミニズムの最前線で活躍して来た上野が苦い思いをこめて、それでも明晰に、ときにユーモラスに描き出した快著です。もちろんそこからは、それでも、今後私たちがどんな社会を目指すべきであるのかも、見て取ることが出来ます。
失望するに足る現状を確認した上で、それでも腐らないこと。「風立ぬ」の中で菜穂子が、あるいは二郎が生きたのもそんな日々だったのかもしれません。
次回からは、今度は、これもLe Mondeに載った戦争論を読むことにします。テキストはこの週末にはみなさんのもとにお届けします。
Akikoさん、初冬のフランス楽しんで来てください。Bon voyage !