[注釈]
* Les militaires, qui savent compter...: これはquatrieme ge'ne'ration という呼び名をつけたことを言っています。
* si la guerre est devenue l'affaire des civils, ils sont aussi...victimes. : 注意を要する si ですが、ここは「対比・対立」を表現するものです。
* Effectivement,… et notre siecle a e'te' a` la hauteur... : ここの et もmais に近いニュアンスを含んでいます。というのも、この百年の戦争も、あいもからわず過去の戦争と同じく野蛮な戦いではあるけれども、そこには「産めよ殖せよ」を促す「人口学」と、戦争への「市民参加」を容易にする「テクノロジー」の進展がある。そのことが強調されているからです。
* l'exercice : ここは la guerreの言い換えだと思われます。
[試訳]
ここには大いなる逆説がある。ダヴィデとゴリアテとの終わることのない戦いを見事に要約した言葉があるとすれば、それは非対称性ということになる。トヨタ製の小型トラックが挑むのは、ラファル戦闘機であり、爆薬を仕込んだ車で立ち向かうのは、無人戦闘機ドロヌであり、あるいはまた、カラシニコフを手に戦車に向かうのだ。数を数えるのに長けた軍人たちは、イデオロギーで、あるいは宗教で武装した敵とのこうした抗争を、「第四世代の戦闘」と呼ぶ。
この戦争の世紀から残された二つ目の教訓とは、戦争が市民の関わる有事となる一方で、その市民がまた主な犠牲者ともなっていることだ。なるほど、長い時代を眺めれば、それはなにも目あたらしいことではない。略奪、強姦、虐殺、野蛮行為全般もあらゆる戦争につきものであろう。しかし私たちの世紀が、それまでの戦争の世紀と比肩しうるのは、そこに人口学とテクノロジーという「切り札」を加えたからであった。1914-18年に及ぶ「大殺戮」を経て、私たちはことあるごとに「過ちは二度とくり返しません」とくり返してきた。くわえて、国際連盟から国際連合へ、ジュネーブ条約から国際司法裁判所までに見られるように、世紀を通じて私たちは戦争を規則に従わせようと努めて来た。そしてこれが三つ目の教訓となるのだが、そうした国際的な法制化や、国連軍をともなっての数知れない平和活動にもかかわらず、国家連合は戦争を禁ずること、あるいは武力の行使を「正しい戦争」に制限することにも成功しなかったのだ。
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まずは、テキスト配信の時点で問題があったようで、そのことをお詫びしなければなりません。結局三度に渡ることになりましたが、当初こちらがお送りするつもりだったものをもう一度お送りします。
まったく迂闊なことで、今になって思い当たったのですが、Le Mondeのこの記事を選んだとき、ぼくの頭の中で響いていたのは作家・詩人の辺見庸さんのつぎの言葉でした。
「日中戦争の始まり、あるいは盧溝橋事件。われわれの親の世代はその時、日常生活が1センチでも変わったかどうか。変わっていないはずです。あれは歴史的瞬間だったが、誰もそれを深く考えようとしなかった。実時間の渦中に『日中戦争はいけない』と認められた人はいたか。当時の新聞が『その通りだ』といって取り上げたでしょうか」
先日もこの欄で触れましたが、その日中戦争がはじまる前に既に日本の「冬の時代」を懸命に生きた堺利彦の評伝、黒岩比佐子著『パンとペン』(講談社文庫)を読み終わりました。文庫版解説を書いた梯久美子さんの言葉をここに引いておきます。
「堺が生きた百余年前の「冬の時代」は、また違った形で、現代にくり返されている。華々しい闘いの高揚感はなく、目の前に広がるのは、果てしなく続くように見える困難な日常である。引き波に足もとをさらわれるような時代にあって、何をよすがに生きるのか。そのヒントが本書にあるように思えてならない。」(p.633-4)
辺見さんの先の言葉は以下で参照することが出来ます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130908-00000015-kana-l14
あいかわらずの自転車操業なのですが、つぎのテキストは8日(日)までにお届けします。もうしばらくお待ち下さい。Shuhei