フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Ph. Sollers <<L'ange de Proust>>(1)

2014年05月14日 | Weblog

[注釈]
 *la moindre ve'rification concrete...: 最上級表現はときに譲歩の意味を帯びることがあります。ここでは「ごく些細なことでも具体的に確かめようとすると...」
 *bouleversant de ve'rite'. : de ve'rite' で「実に、確かに」
 * Il se renvoyait la balle sur moi. : se renvoyer la balle 「激しい言葉の応酬をする」ですが、高揚したプルーストが、家政婦のセレストも議論に巻き込んだ様子でしょうか。

[試訳]
 当然プルーストのことなど知っていると仰るでしょう。『失われた時求めて』は言わずと知れた名作だろう、と。そう、あのプルーストです。アルベルチーヌ、シャルリュス、コンブレー、バルベック、ソドムにゴモラ。そういうくだりを諳んじていらっしゃるかもしれません。誰もがそれがどんな作家かご存知でしょう。ところがまさにそこで何かを具体的に確かめようとすると、ひと苦労となり、お笑いぐさともなるのです。
 プルースト氏その人のことは、あいかわらず謎に包まれたままなのです。けれどもここにはあの伝説の生き物が描かれているのです。ひとりの天使が、夜昼となく、生涯にわたってあの奇妙な生き物に寄り添っていたのです。それは22歳の学のない田舎娘でセレストと呼ばれていました。もうその名が彼女の存在をつつんでいます。82歳となった彼女の証言はじつに驚くべきものでした。実はプルーストは相当風変わりな聖人だったのです。彼女は1914年から1922年まで作家の傍らにいて、くたくたになるまで、何から何までその面倒を見て、臨終の際その目を閉ざしたあとは、沈黙を守って来たのでした。そして、1970年代の初頭になってようやくセレストは語ったのでした。このたび彼女の証言が再版されることなったのです。私たちはプルーストについて何も知らなかったのです。彼女は違いました。ごく些細なことまで彼女は感じ取るのです。献身の人、唖然とするほど純朴なセレストは、なにひとつ知らなくとも、物わかりの悪い人々よりもはるかに物事を理解していました。
 はっきり言いましょう。プルースト氏は大変な暴君でした。深夜3時エレベーターの音が聞こえると同時にご主人様のもとへ駆けつけるには(主人は家の鍵を持ち歩いていませんでした)、昼間よりも夜働き、呼び鈴が鳴るのをじっと待っていなければならず、主人の朝のコーヒーは午後6時に運ばなければならなかったのです。つまり、ひと様とは逆転した生活を送らなければなりませんでした。カーテンを閉ざし、物音を遮るためにコルク張りした冷えきった部屋で、プルースト氏は何をしていたのでしようか。ひたすら書き物をしていたのです。そうです。何を言っても無駄で、この暴君は賞賛すべき男でした。ご主人様の手がちょっと動く。手順を記した紙の切れ端が渡される。プルースト氏がにこっとする。すると、超然と構えていたセレストは駆けつけ、飛ぶように書類を運び、電話連絡を取る。時には夫オディロンに会うこともあった。夫もいつも車の用意をしていて、プルースト氏を乗せて夜の街へ送り出すのだった(リッツでの夕食や男娼の館へ)。時には何時間も車で待つこともあった。セレストは信じられないようなことを言っています。「夜働くことはなんでもありませんでした。ご主人様が帰ってくると、まるでお日様が昇ったようににぎやかでしたし。」とくにプルーストがひと夜の様子を、即興を交え語り興じ、小説を書く肩ならしをしている時は、そうだったであろう。「私なんかに議論を吹っかけることもありましたよ。」
……………………………………………………………………………………………….
 misayo さん、Akikoさん、midoriさん、Moze さん、訳文ありがとうございました。今回は少し欲張りました。長かったですね。それに、平易な文章ですが、ニュアンスを読み取るには苦労しました。それぞれ、みなさんの訳文も大いに参考になりました。
 さて、次回はEt il riait tant qu'il pouvait .>>までを読むことにしましょう。
 最近Radio France Cultureを通して韓国人女性ジャズ・シンガー Youn Sun Nah の歌声を知りました。彼女のカヴァーした La Chanson d'He'le`ne が気に入っています。よろしければ、以下でお楽しみください。
http://www.youtube.com/watch?v=GHuNpHVg-Q8