[註]
*Lyon et ...Marseille : リヨンは「カトリックの古き土地」であるのに対して、地中海に面したマルセイユは、フランス本土の外から移り住んだ人々や、その二世・三世が多く暮らす都市として知られています。
*C'est cette <<oligarche de masse>>...qui s'est indignée, :この箇所は少し見通しづらいのですが、あの日抗議の声を上げたのはまた、以下のような人々ではなかったか、とトッドは批判の目を向けているわけです。
[試訳]
「大衆による寡頭政治」
この書物は、「シャルリー事件」以降の私たちの社会のイ デオロギー的、政治的権力メカニズムの理解に向けての促しであり、ライシテ教団において「自らを欺く」国民の「宗教的危機」を、理論的に、手厳しく分析したものである。街頭で抗議の声を上げた人々が、意識の上では、寛容のために行進をしたことを、もちろんトッドは否定しない。けれども多くの人を動かしたのは、「目に見えない価値」の現実のあり方ではなかった。あの日人々にとって重要であったのは、と著者は続ける。「まずなによりも社会の力、支配のひとつのあり方を確認することだった。」つまり、あの日人々を駆り立てたのは、「弱者が信じる宗教に唾する権利が何をおいても必要だ」と、通りに馳せ参じた、社会上層に位置する「白人種フランス」の現実であり、理論において明言しなくとも、その振る舞いにおいて、無意識において、不平等なフランスの現実であった。
それというのも、「今日共和国を標榜する諸勢力は、その本質において共和的ではないのだから」と著者は説く。リヨンでの大規模な行進とマルセイユの慎ましやかなそれとの隔たりが明らかにするように、1月11日通りを埋め尽くしたのは、社会上層に位置するカトリックの古きフランスの住民たちだった。抗議の声を上げていたのは、恵まれない人々が社会的に隔離されても、若いイスラム教徒たちがあたかも流刑されるように郊外のゲットーに追いやられても痛痒を感じない、「こうした大衆による寡頭政治」であった、と著者は強調する。
地理学に依拠しながら、人口統計学者の著者は主張する。カトリック教会の衰退にもかかわらず、生きながらえている「周辺のカトリック的サブカルチャー」が、それと気づかないままに、人々の行動を決定し、そして、不平等な「ネオ共和国」の到来をも促してもいると。その影響下で、ヨーロッパ単一通貨という「容赦のない神」が、キリスト教神学に取って代わってしまった。というのも、マーストリヒト条約は、フランス革命からではなく、カトリシスムより、またヴィシー政権より私たちにもたらされたものだからだ。社会党が右傾化してしまったのもまた、カトリック的サプカルチャーの影響による。
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masayoさん、shokoさん、mozeさん、訳文ありがとうございました。
紹介されているトッドの主張は明快です。世界の耳目がフランスに集まったあの日、表現の自由の擁護をかがげて通りで抗議の声を上げたのは、謂わば「本流のフランス」であり、そうしたフランスの姿が、実は本来尊重されるべき「支流のフランス」を踏みつけにしていないか、といったことだと思います。でも、Le Monde掲載のこの書評は言葉使いは平明ではありませんね。次回はもう少しやさしく読めるのではないでしょうか。
shokoさん、mozeさんがおっしゃる通り、またお時間の許す限りで、パリ便りを届けてください。楽しみにしています。どうかお元気でBelle saisonを楽しんでください。本邦は、いよいよ梅雨入りですね。
それでは、次回はこの文章の最後 il ne le savait pas. までを読むことにします。17日(水)にいつものように試訳をお目にかけます。Shuhei