[注釈]
*<>qu'est devenue la mer Méditerranée ? : qu'=que であることに注意してください。
*les délocalisations : 為替相場の変動に伴い、人件費・材料費などを抑制するために製造拠点を海外に移すことです。
* nos canettes de coa : グローバル企業であるコカコーラが製造する清涼飲料水は、人々とは対照的に、やすやすと国境を超えることを象徴しています。
[試訳]
「私たちもあの子を見殺しにした」
あの子はアイラン・クルディといった。私たちがあの子を無関心という濁った海で死なせたのだ。私たちは、身の中に残っていた人間性の一部を捨て去って、たった三つのあの子を「海辺の墓地」となった地中海に打ち捨ててしまったのだろうか?
私はここで様々な国とヨーロッパに怒りの叫びをぶつけたい。現下の難民問題に直面して、諸国家と欧州には即座の反応はなく、推移をただ座視している。また長期的に数十年とられてきた政策を見れば、要するにそこには人間的な思慮が放棄されてしまっているからだ。私たちの国境は、グローバル化した経済と国際的な金融にとっては穴だらけで、その二つして常に社会的な不平等を押し広げている。また、国内産業の空洞化をむしろ後押しするライバル企業にとっても、国境は次第に開け放たれつつある。その一方で、戦火に追われ、ほとんどすべてを失った男たち、女たち、子供たちだけに、国境の内側に残されたものが押し付けられてるいる。人々は商品よりもぞんざいに扱われ、国境に避難民は打ちづけにされ、その一方で私たちが飲む缶コーラは足止めされることもない。人を人とも思わないこうした逆説に私たちはどう耐えてゆけばいいのだろうか?
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いかがだったでしょうか。実は、太平洋戦争当時、いわゆる「外地」で暮らしていた600万人の日本人の多くが、敗戦後シベリアや満州で「難民」となったのでした。前者に関しては、ここでくり返し取り上げた小熊英二『生きて帰ってきた男』(岩波新書)に、後者については、最近出された、澤地久枝『14歳 満州開拓村からの帰還』(集英社新書)に詳細な証言が綴られています。戦後70年を生きた著者が「私」という主語によって回想する語りは取らずに、満州で難民となる顛末が、「少女は...」という主語によって、あの時代思春期を生きた少女の感覚そのままに生き直されています。
「戦後70年」を特集した雑誌『現代思想』(8月号)誌上で、おもに先の著書をめぐって小熊英一と対談した、同学年の近現代史家原武史がこう語っていました。自分たちが、近親の戦争体験者から直接敗戦の証言を聞ける最後の世代であり、そうした証言に謙虚に向き合う責任が、自分たちの世代にはある、と。これが世代をまたぐと、つまり、祖父母の体験となると、どうしても一種のロマン化が忍び込むため(例えば安倍現首相の祖父岸信介へのこだわり)、残された時間は実に少ないと。これも大変興味深い対談でした。
さて、次回は、ちょっと少なめですが、de toute urgence ? までの試訳を10月7日にお目にかけます。Shuhei