人間は、理性の領域で世界・宇宙を認識するわけですが、それだけではなく人間の心には情動の領域があります。
つまり、知るだけでなく感じるのです。
知らなかったことを知った時、新しいものを知った時、そして何より美しいものを知った時、ただクールに知るだけでは終わりません。
感じる、感じて心を動かされる、感動するのです。
私たち人間が生きていてやっていることには、かなりどうでもいいことや、どちらかというとやめたほうがいいことや、なんとしてでもやめたほうがいいことまで、あまり感心しないことがいろいろあります。
抑圧、搾取、差別、憎悪、軽蔑、怒り、そして今もあちこちで起こり続けている戦争・紛争・テロ、環境破壊などなど……。
にもかかわらず、人間がこの地球上でやっているましなことがあるかと考えると、まず思い浮かぶのが、感動するということです。
美しいもの、世界の美しさに感動している人間の心はそれそのものもまちがいなく美しい、と私は思うのです。
そして、認識の場合とおなじく、人間が感動するというのは、コスモスの心を持った部分がコスモスの他の部分を見て・感じて感動するということです。
私の心において、コスモスがコスモスそのものに感動しているのですね。
とすると、「人間はコスモスの自己感動器官である」という結論が自然に導き出されます。
私は、このことに気づいた時、まさに感動しました。
「そうか、私はコスモスが自己感動するために心を持ったコスモスの一部として存在しているのかもしれないぞ!」と。
それ以来、人間は何のために生きるのかという問いには、まず「感動するため」と答えることにしています(もちろんそれだけではないのですが)。
感動するためにこの世に生まれてきた私というのは、なかなか素敵ではありませんか?
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