今、H大学社会学部では、毎週、5~600人くらいの学生を相手に授業をしています。
6月に中間のレポート「日本人の精神的荒廃の三段階」を提出してもらったのですが、数が多すぎてまだ読み切れていません。
しかし読みながら、今年も教えてよかった(まだ途中ですが)と感じています。
以下のような時代の問題の本質を突いた感想・意見(特に前半)が出てくるのを読むと、若い世代の鋭い洞察力に期待してもいいのではないか、期待したいと思わされます。
H大学社会学部社会学科2年男子
このレポートを執筆していて、私は日本の将来がとても不安になった。その理由は民主主義とエゴイズムという矛盾した2つが今の日本に同時に存在しているからである。民主主義とは国民の手で政治を動かす国のシステムであり、それは国民が国をもっと良くしていきたいという「理想」をもつことが大前提となっているシステムである。にもかかわらず、今の日本の精神性は「自分だけ楽しければ良い」という快楽主義、エゴイズムが主流となっている。これでは民主主義国として機能せず、国の発展はストップしてしまうだろう。
これを解決するためには国のシステムそのものを変えるか、それとも国民の情熱をもう一度喚起させるか、はたまた神仏儒習合の精神の復活など様々な意見があると思うが、私は国民の情熱を取り戻すことが一番現実的だと思える。なぜかというと、私はスポーツにその国民の情熱を垣間見ることがあるからだ。サッカー日本代表応援する国民の一体感。オリンピックで日本選手を応援するあの国民の一体感。まだまだ日本人には愛国心という情熱が残っているのだといつも私は感心する。きっと何か大きなきっかけとなるものがあれば、日本人の精神は普遍的な情熱を取り戻すにちがいない。それを実現する要素は一時的ではあるが垣間見えているのだから。
ただ、後半、「国のシステムそのものを変える」という案も上げておきながら、落としどころが「国民の情熱を取り戻すことが一番現実的だと思える」になっているところが、とても日本人的・心情的でやや残念です。
国を愛し国を良くしたいという情熱を取り戻すという心情的な面のことは、実際に国を良くするまず何よりも必要な必要条件ではあっても――これがなければ何も始まりません――十分条件ではないからです。
取り戻した情熱を、まずより良い国のシステムを設計し直すことに向け、それから実際にシステムを変えるための有効な行動を始めて――多くの困難にもかかわらず――それが成功した暁に、実際に国が良くなるのではないでしょうか。
単なる愛国心は、ナチズムをも生み出しましたし、スウェーデン・緑の福祉国家も生み出しています。
善良な日本人の多くが、「善意は必ず善なる結果をもたらす」と信じているように見えますが、「善意が必ず善なる結果はかぎらない」それどころか意図とまったく違った「目的外の結果」を生み出すこともしばしばあるという厳しい歴史的な事実をよく学習して、どうしたら善意が善なる結果を生み出すか、システム的―統合的・4象限的に考える能力を身につけてほしいものだ、と強く願っています。
「理屈じゃない。行動だ」とか、「理屈は嫌いだ。気持が大事だ」と言っている間は、善意の市民の気持は善なる結果に結びつかないだろう、とシミュレーションしています。
理論と理念によって描き出される適切・妥当な中長期目標に向って、国民の多数が協力して有効性のある社会的行動を展開してはじめて、私たちの国を良くしたいという気持が望んだ結果をもたらすのだ、と思われます。