タイの記録的豪雨で日系企業の工場が大きな被害を受けているというニュースが流れています。
これは、要するに人件費を節約すること、つまり短期の経済的効率を考えて、工場の海外移転をした結果、異常気象の影響で大きな経済的損失をこうむったということです。
気候変動・異常気象のことを計算に入れない損得計算は、実は中長期的に見ると経済的合理性をもたないということの明らかな実例だ、と筆者には思われます。
言い方を変えれば、地球全体の近未来を計算に入れると、エコロジカルな持続性を無視した企業活動は――だけでなく社会活動全般も――持続不可能だということです。
持続可能な国づくりの会の『理念とビジョン』で、次のように述べました。
「重要なポイントは、経済そのものの点から見ても、生態系の劣化(今回は記録的豪雨)は企業の生産条件の劣化(工場の水浸し)を招き、経済活動を持続不可能にしていく(操業停止)ということです。環境とトレード・オフの関係にあるような経済システムをそのままにしておけば、やがてその経済システムそのものも機能しなくなることは、シミュレーションをすれば火を見るよりも明らかだというべきでしょう。」(18頁)
今回の出来事は、そうした中長期的傾向の一つの現われにすぎないと思われます。
もし、経済人や政治家や市民が、本格的な取り組みをしないままでいるならば――きわめて残念ながらしないままだと思われます――危機はまちがいなくさらに進行・深刻化する、とシミュレーションされます。
本当に、心を痛め、涙を流してしまいたくなるようなことが多すぎます。
ただ、前に先生も記事で書いていました通り、子供の前では大人として希望を語りたいと、明るい事象も見るように気をつけています。
昨日、録画していたドラマ『南極大陸』の第1話をみました。「大人があきらめたらいけない」という勇気をもらいました。
心の痛む、涙の出るようなことがいっぱいのつらい時代ですね。
しかし、大人は子どもに希望を語り続ける責任があると思います。頑張って、希望を見つけ語っていきましょう。
『南極大陸』、我が家でも見ています。感動的なドラマですね。敗戦後の日本人の気持ちがいたいほど伝わってきます。
あの頃の気持ちで、正しく頑張れば、日本はやり直せると思います。
大変な困難であっても、それは不可能ということではありません。不可能に見えることを可能に変える努力を続けましょう。
『南極大陸』、御覧になっているのですね。
我が家では、2夜連続で、昨日、録画してあった第2話を見ました。
困難ではあるけれど、エコロジカルに持続可能な未来への大陸。
かなりの努力は必要でしょうが、きっと、「接岸不能」では、ありませんね!
そういった考え方があるから異常気象や大津波を予想出来ず、海外に工場を設置したり、冷却水を取りやすくするために高台を削ってまでも原発を設置したのだと思います。
日本の政治家や市民は自然に対する畏敬の念を取り戻す必要があるのではないかと思いました。
コメントへのお返事、HIROさんと一緒にしたつもりでしたが、名前が抜けていました。失礼しました。
改めて。ある限定された条件下でリアル(に見えること)は、条件がより広く変わるとリアルではなかったことがわかってくる、ということだと思います。
困難も同じで、ある条件下では困難であっても、条件が変われば可能になるのではないでしょうか。そして、いま、環境的・社会的条件が大きく変わりつつあるという気がします。
>kamioka さん
日本と世界のリーダーたちに、自然への畏敬の念を取り戻してほしいですね。
それが無理なら、自然への畏敬の念をもった新しい世代がリーダーの世代交代をするほかありませんね。
その時代は近づいているようです。
条件が変わるといままでリアルだったものがそうでなくなるとのこと、まさにそうなる時代になってきたと感じられますね。このブログで語られてきたスウェーデン型・「自立と連帯」の緑の福祉国家型が新しいリアルになってほしいものだと心から思います。
たとえば大阪あたりでかまびすしい公教育に徹底的な競争を取り入れるとの議論、競争主義の空気的な常識からはリアルでもっとものようですが、競争についていけない大多数のやる気を損なわせ、競争主義自体が結局全体の競争力を損なうことになるだろうという点で、強い違和感を覚えます。だれかガツンと言ってやってほしいのですが…ああいう手合いが人気者になる時代がさびしいなと感じます。蛇足でした。すみません。