昨夜の講座では、ナチの収容所を生き延びて『死と愛』を書くまでのフランクルの半生について講義しました。
例えば、ある期間フロイトとアドラーとフランクルそしてヒトラーがウィーンという同じ町に住んでいたという時代のドラマを、聴講者のみなさんに感じていただきたかったからです。
ヒトラーが作った収容所に入れられ、そして極限的な悲惨を体験しながら、なお生きることには無条件に意味があることを確信し続けたフランクルの精神の強靭さ、それを裏付ける思想の深さ、収容所から解放されて直後から書き綴られた『死と愛』という著作の重さを知ってから、その内容を詳しく学んでいただきたいと思ったのです。
みなさん、深く感じていただけたようです。
学びは、これから思想の具体的内容に入っていきます。
そこには、ヒトラーをも生み出したニヒリズムという近代の怪物に対する徹底的な闘いそして克服の筋道が語られています。
今日は、ほとんど事務処理に終わりましたが、それでも『大般若経』を読み始めました。まだ巻1、2だけですが。
ところで、かみさんの実家から送り返したものはよく見たら『大品(だいぼん)般若経』=すでに読んだ『摩訶般若波羅蜜経』であって、600巻の『大般若経』ではありませんでした。
私の早とちりでしたが、それにしても紛らわしい。
でも、国訳一切経(大東出版社)の『大般若経』も第1巻と飛んで第6巻は買ってありましたので、そちらで読み始めたというわけです。
読み進むにつれて買い足さなければなりません……買い足したいなと思っています。
ところで、+αの話もいいけれど、まとまった授業はまだ始まらないのかと待っていてくださる方もあるかもしれません。
もう少ししたら始めるつもりですから、お待ち下さい。
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ブログ記事に書いたとおりの忙しさで、返事が遅くなりました。失礼お許し下さい。
そうなんですね。フランクルの言葉で迷いが吹き飛んんですね。
フランクルの洞察は、ほんとうに深く、そして何よりも人生のつらい時の励まし、支えになりますね。
同じ場所で学ぶのはむずかしいのかもしれませんが、場所は離れていても同じ地球、同じ日本という意味でご一緒に学んでいきましょう。
以前、「それでも人生にイエスという」を読んで、とても感銘を受けました。
「我々がすべきことは、人生に何かを期待するのではなく、人生が私に何を期待しているか、を問うことである」という言葉に、それまでの迷いが、一気に吹き飛びました。
私には、想像もできないような、過酷な運命に生きた人から、こんな言葉をいただけたことに、感謝の思いでいっぱいになりました。
この言葉のおかげで、今の私があると言ってもいいくらい、衝撃的な言葉です。