美しかった日本

2007年10月04日 | 持続可能な社会

 最近、人から「名著です」と紹介されて、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社)を読みました。

 まさに名著、感動的でした。

 そこに引用された幕末から明治初期にかけて来日した欧米人たちの報告する日本の姿は、川端康成風に言えばまさに「美しい日本」でした。

 一部を抜粋・引用してご紹介します。



 まず、「第二章 陽気な人びと」です。


 十九世紀中葉、目本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうあろうと、この国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった。ときには辛辣に日本を批判したオールコックさえ、「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」と書いている。ペリーは第二回遠征のさい下田に立ち寄り「人びとは幸福で満足そう」だと感じた。ペリーの四年後に下田を訪れたオズボーンには、町を壊滅させた大津波のあとにもかかわらず、再建された下田の住民の「誰もがいかなる人びとがそうありうるよりも、幸せで煩いから解放されているように見えた」。

 ティリー(生没年不詳)は一八五八年からロシア艦隊に勤務し、五九(安政六)年その一員として訪日した英国人であるが、函館での印象として「健康と満足は男女と子どもの顔に書いてある」という。……

 一八六〇(万延元)年、通商条約締結のため来日したプロシャのオイレンブルク使節団は、その遠征報告書の中でこう述べている。「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」。また一八七一(明治四)年に来朝したオーストリアの長老外交官ヒューブナー(一八一一~九二)はいう。「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである」。


 続けてご紹介したいと思いますが、私たちの学んだ日本史では、江戸時代は「封建的」でひたすらひどい時代だったという印象を与えられてきましたが、まったく違った一面――もちろんひどい面があったことも事実でしょう――があったことを知り、その面の美しさに感動させられたのです。

 庶民が満足し幸福である国こそ「美しい国」なのではないでしょうか。



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