誕生して10~30万年後頃、宇宙に存在する元素は水素とヘリウム(および少量のリチウム)だけ、いわば水素とヘリウムの霧でいっぱいという時があったようです。
最初からゆらぎ(ムラ)があったために、水素とヘリウムの霧にも濃淡があり、重力によって濃いところには粒子がどんどん集まっていき、巨大な霧の塊ができていきます。
これは何だと思いますか?
なんと! 水素とヘリウムガスの「星」の誕生なのです。
私たちは地球から連想して、「星」というと何か固い塊を想像しがちですが、宇宙の初期に生まれた星はすべてガス状だったといいます。
ガスの塊が重力によって凝縮するために、内部は大変な温度と圧力になります。
凝縮された星の内部では、水素原子核(陽子)や重水素原子核(重陽子)などが激しく衝突しあい、ついに核融合反応を起こし、膨大なエネルギーが解き放たれ、新しい元素が誕生します。
解き放たれたエネルギーは、目くるめく光となって空間に放射されます。
そうです、星が光りはじめたのです。
夜空で見ると、静かで愛らしくて、少しさみしく見えることもある星たちの多くは、今でもそういう驚くべき灼熱の核融合炉を内部に抱えていることで、あの光を放っているわけです。
そして、内部では、猛烈な熱の中で元素が合成されています。
今でも多くの星が水素とヘリウムガスでできていて、宇宙のあちこちで水素より重い元素が新たに合成されているのだそうです。
できたての酸素、炭素、窒素……の目に見えないほどの小さな粒子を想像すると、何とも不思議の思いに誘われてしまいます。
宇宙の歴史を学んでいると、私は、あちこちで驚きや不思議さや美しさなどに思わず立ち止まってしまいそうになります。
しかし、宇宙のダイナミックな進化は一瞬も立ち止まってはくれないようです。
さらに、そうした星が次々と誕生し、無数の星々はまた重力によって引き合い集まって星団をなし、いくつもの星団がさらに集まって銀河をなし、さらには銀河群、そして銀河団をなしていきます。
まだ太陽系も地球も存在せず、だから当然、どんな生命も意識ももちろん私も存在していない宇宙で、気が遠くなるほど長い時間を費やしながら、しかし霧は混沌(カオス)状態のままにとどまっておらず、星になり、星の群れになり、さらにはっきりとかたちをもった無数の巨大な銀河に変容していきます。
その様子を、精一杯想像力を広げてイメージしてみてください。
すごい! なんとも壮大な……!光景ですね。
そして、壮大なイメージが心に描けたら、その銀河を「生み出した」のは何か、つまり銀河は「何によって生まれた」のか、ここでちょっと考えてみてください。
すぐ前の段落で「宇宙で」という言い方をしましたが、これは実はやや不正確な表現だ、と私は思うのです。
正確な意味での「宇宙」とは、果てしなく広がる巨大な暗黒の「空間」のことではありません。
もともと一つのエネルギーの塊だったものが、時間、空間、物質へと分かれてきたわけですが、そのすべてが「宇宙」なのです。
だとすると、「宇宙で」「銀河が生まれてくる」というより、「宇宙が」「銀河を生み出していく」というほうがより正確な言い方でしょう。
さらにそれは、自分の外に宇宙とは別の銀河というものを生み出すわけではありません。
「宇宙が」「自分の中に」「銀河というかたちを生み出していく」ということなのです。
私たちは、ものごとを分離して考えることにあまりにも慣れていて、「宇宙」「銀河」という言葉を使うと、ついそれぞれが分離した別々のものだと思ってしまいがちです。
けれども、「宇宙」とは事実としても定義上も「全体」ですから、「部分」をすべて含んでいなければなりません。
そして銀河はすべて、宇宙の部分なのです。
ここで、「分離」と「区別・区分」の違いを思い出してください。
もちろん、いったんかたちができると、あの銀河とこの銀河の区分・区別はできるのです。
空間と銀河の区分もできます。
しかし、そのすべてが分離できない全体としての1つの宇宙に含まれ、包まれている、あるいは1つの宇宙のままである、というほかないのではないでしょうか。
だとすれば、「宇宙があるところで銀河というかたちを現わしていく」、あるいは「宇宙が自分の一部として銀河というかたちを現わしていく」といったほうがいいかもしれません。
星も、星団も、銀河もみな、宇宙の自己組織化のもたらした宇宙自身の美しい実りです。
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