菩薩の特徴の二十六から三十四番目です(原文には「三十二」とあるのに、実際に区切ってみると三十四なのはなぜか、最初の①②が総題で、③から数えるのかもしれませんが、よくわかりません)。
㉖「低次の乗(小乗)を喜ぶ心を生ぜず、大乗の教えに実の功徳があると見る」とは、すなわち功徳について正しく思惟することである。
㉗「悪しき友を離れ、善き友に親しむ」とは、善き友に師事する功徳を明らかにしている。
㉘「常に四種類の浄らかなあり方(四梵住)を治める」とは、完成のカルマを明らかにしている。
㉙「無量の心の清浄さを治め、常に五種類の神秘的力(通)の智慧に遊んでいる」とは、すなわち気高い徳を得ることである。
㉚「常に智慧によって行動する」とは、すなわち覚りを得るという功徳である。
㉛「正しいカルマにとどまる者と正しいカルマにとどまらない者のどちらの衆生に対しても見捨てる心がない」とは、すなわち他者に安らぎを与えるカルマである。
㉜「はっきりと方向の定まった言葉を説く」とは、すなわち迷いの心がなく、正しい教えと学の内容を定立することである。
㉝「実りあることを尊ぶ」とは、すなわち教えと資財の二つの教化手段である。
㉞「まず敬意をもって菩薩の心を行ずる」とは、すなわち汚れのない心のことである。
こうした特長をもつ者を菩薩と名づける。
このような句によって、前に説いた初句を知るべきである。
こうした特徴は、最後の句にあるようにすべて「一切の衆生を利益し、安楽ならせたいという意志」という最初の句の内容説明だといわれています。
つまり菩薩の特徴は、別のことばでいえば「慈悲」に集中しているのです。
読んでいてそこにいつも、筆者は深い感動をおぼえます。
四梵住(しぼんじゅう)とは四無量心(しむりょうしん)ともいわれ、慈・いつくしみ、悲・あわれみ、喜・ひとを幸福にする喜び、捨・平等な心を意味しています。
五神通(ごじんずう)とは、ひとの見えないものを見る天眼通、聞こえないものを聞く天耳通、他人の心を知る他心通、過去世のことを知る宿命通、どこへでも自由に行くとのできる神足通という五つの超自然的な能力です。
釈尊は超能力を禁止したとされますが、大乗では、どんな能力であれ、マナ識的に使えば歪み、平等性智・慈悲の手段=方便として使えば生きるという理由から、あえて使うのです。
しかも大乗の慈悲は「自利利他」であって、単なる自己犠牲ではありません。
だからこそ、自分の学びのために場合によって「悪しき友を離れ、善き友に親しむ」という一見差別的なつきあい方をしてもいいし、もう一方では行為・カルマの良し悪しにかかわらず「どちらの衆生に対しても見捨てる心がない」という無差別平等のつきあい方も目指すのです。
以上学んできたような菩薩の諸特徴を身につけたいという高い自己成長の目標を持つことの、あえていえば「メリット」は、人生で時に苦しいこともあるにしても、その苦しみをどう受け止めればいいのか、どこに向かえばいいのか、ゆるぎない方向性が確立できることだと思われます。
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