残暑お見舞いとご挨拶

2007年08月09日 | 心の教育

 本格的な暑さが続いていますが、暦の上ではもう立秋で、したがってこれは「残暑」ということになるのだそうです。

 しかし、きびしい残暑ですね。みなさんお元気ですか。

 私は、7月30日から8月3日まで、四国・香川県の大学の夏期集中講義でした。





 朝9時10分から午後2時50分まで90分3コマというきついスケジュール。

 行き始めた10年前は、学生たちも熱心で、この集中・凝縮度が楽しいくらいだったのですが、もうそろそろ体力・気力的にかなりつらくなってきました。

 今年も少人数ながら熱心な学生がいたので、名残惜しい気がしましたが、どこかで区切りはつけなければなりませんから、あまりよれよれになってかっこう悪くならないうちに、今年で終わりにすることにしました。

 講義が終わってホテルに帰ると、すぐにその日汗をかいたものを洗濯し、シャワーを浴びて、少しベッドにひっくり返って休んだら、まだ終わっていなかったレポートの採点……の繰り返しで5日間が過ぎました。


 読めないだろうなと思いつつも持っていった、宮本太郎『福祉国家という戦略――スウェーデンモデルの政治経済学』(法律文化社)は、やはり序章しか読めませんでした。

 しかし、これは本格的な研究書で、これまで疑問だったこと、知りたかったことがかなりわかってきそうです。

 帰ってきて、今読み進めているところですが、楽しみです。


 授業が終わった翌日、長い間思いながら行けなかった、行かなかった広島の原爆ドームに行ってきました。





 小学生の時、見せられた原爆映画のショック――まさにトラウマ的なショックでした――が私の思想的探究の原点なので、行かなければならないと思いつつ、気持ちが重すぎて行けなかったのです。

 しかし、60歳という節目でもあり、コスモロジー的全肯定の思想に達した今なら行けるだろうと思ったのと、ちょうど次の福岡での仕事との間に1日空いたのとで、「よし、行こう」と決めました。

 行ってみて、広島はとても緑の多い町で、被爆間もなく植えたのだとしたら樹齢60年ほどの木がとても大きくなっていて、ドームのところを別にすれば町には原爆の雰囲気はどこにも残っていないようでした(見えにくいところに被爆で苦しむ方が今でもたくさんおられることはもちろん知っていますが)。

 ドームも想像したのよりははるかにふつうの廃墟の感じで、外見だけでは深刻な悲劇の雰囲気はもうありませんでした。

 ドームの前の碑のところで、心をこめて般若心経を唱えさせていただきました。

 少しだけ、気がすんだ、という感じになりました。

 しかし、今回も原爆資料館まで行く勇気・元気はありませんでした。


 その後、福岡県の曹洞宗のお寺で、施食会=お施餓鬼の法話をしてきました。

 大学が休みになってからも採点等々でちっとも本格的に休めず、帰ってきた翌日、ようやく採点簿を大学に送りました。

一昨日は大船の曹洞宗のお寺の、施食会=お施餓鬼の法話でした。


 やっと昨日は一日休みらしい休みで、かみさんが録っておいてくれた、さだまさしの番組、小野リサと渡辺貞夫のジョイント・コンサートなど、のんびりビデオを楽しみました。

 今日はまた藤沢ミーティングルームで、出版社の方と企画の相談でした。


 ……という日々で、みなさんへのメッセージの発信が滞っていました。

 特に、四国では今どきめずらしいネット環境のないホテルに泊まっていましたのでね。

 でも、あちこちでメッセージ発信をしていたんですよ。ご理解を。



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