すでによくご存知の方も多いでしょうが、ごく簡単に伝記的なことをお話しておきます。
仏教の創始者ゴータマ・ブッダ(仏、仏陀、Buddha)は、紀元前463~383年頃の人だと考えられています(他にもいろいろな説があるようですが)。
ネパールの釈迦族の国王・浄飯王(シュッドダーナ)の長男として生まれ、俗姓をゴータマ・シッダッタといいます。
国の中心はカピラ城といって、中部ネパールの南のタラーイ盆地にあり、誕生地はその郊外のルンビニー園だったといわれています。
日本でふつう「お釈迦さま」とか「釈尊」といわれるのは、釈迦族出身の聖者という意味です。「釈迦牟尼(しゃかむに)」という場合の、「牟尼」が「聖者」に当たります。
生後まもなく母のマヤ夫人が亡くなり、叔母に育てられました。
若いころから、人生にはなぜ、病気や老いや死という苦しみがあるのだろうという深い疑問があって、王家の長男という恵まれた立場に安住していることできませんでした。
しかし、王族の義務として跡継ぎの子をもうける必要がありますから、16歳で妃を迎え、ラーフラという男の子も生まれました。
しかし、どうしても悩みを解決しないではいられなくなり、29歳で親も妻子も財産も立場もみんな捨てて修行者になりました。
ふつうの家庭・社会の生活から出ていくという意味で「出家」といわれます。
(それに対してふつうの家庭・社会生活をする人を「在家」といいますね。)
そして、ほとんど死にそこなうところまでいろいろ苦行を重ねたり、あちらこちらいろいろな師を尋ね歩いたりしたのですが、いまひとつ満足できませんでした。
最後にアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタという二人の仙人について禅定を修行し、どちらからも後継者になることを期待されるほどの境地に達したにもかかわらず、自分ではそれでは納得できなかったといいます。
そこで山林に籠って6年間、瘠せさらばえて肋骨が見えるくらいまで苦行に苦行を重ねたのですが、それでも自分で納得できる覚りを得られませんでした。
こうした常識的な安定した生活に安住しないだけでなく、既存の宗教的な方法についても、ぎりぎりまで実践し師から認められるまでになっても、自分で納得できるまではどんなに苦しくても安住しないという姿勢が、「覚り」という大きな飛躍をもたらしたのだといっていいでしょう。
*写真は釈迦苦行像:神奈川新聞のWEB記事より
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妻子、地位を捨てて・・・そんな殺生なと。
ですが、ゴータマはきっと、言語を絶した全存在を突き動かすほどの衝動から出家したはずですよね。
二人の仙人に悟りの境涯を認められたのにそこに安住しなかった。すさまじい求道心!
そこからさらに飛躍したからこそ、仏教が今日まで伝わり、普遍性をもつに至ったように思います。
ゴータマはある意味、半端じゃない大欲の人だと思います。
だけど、欲の向かう方向が我々とは正反対。
それにしても宇宙は、ドえらいスケールの人を創発したものです・・・。
お釈迦様の生きざまで多くの人々が、助けられたのですから、今の時代にも生きていらしゃるような気がします。
この感動を形に表わすとしたら、まずは和顔施からはじめ、八正道のうちの正しく思い、正しく語りでしょうか、出来る事からはじめます。
ウスイツカサ