菩薩の特徴の十五番目から二十五番目までです。
⑮「一切の日常行動において常に菩提心をもっている」とは、すなわち断絶なく思惟するというカルマである。
⑯「報いを求めることなく布施を行なうこと」。
⑰「一切の怖れやどこに輪廻するかにこだわらず、戒めを守ること」。
⑱「一切の衆生に対して忍耐づよくあってとどこおることがないこと」。
⑲「一切の善なる事柄を吸収するために精進を行なうこと」。
⑳「三昧を修行して無色定を超越すること」。
㉑「方便をそなえた智慧と四つの衆生を抱く方法(四摂法)に応じた方便〔を得ること〕」とは、すなわち勝れた段階へと進むカルマである。
㉒「戒律を守る者と戒律を破る者のどちらに対しても、善き友として無二である」とは、すなわち方便を完成するカルマである。
㉓「善知識に師事し、尊敬の心をもって教えを聞く」とは、すなわち正しい法を聴くことである。
㉔「尊敬の心をもち楽しんで静かな所にとどまる」とは、すなわち静かな所にとどまることである。
㉕「世間の珍しいことを喜ぶ心を生じない」とは、すなわち誤った感覚の刺激を遠ざけることである。
ほんものの菩薩の行動・カルマは、ある時たまたま感動してその気になったのでする、あきたからやめるといったものではありません。
毎日の生活すべてが覚りを求める修行です。
禅では「作務(さむ)」といわれますが、お掃除をすること、料理を作ること、お皿を洗うこと、その他、日常のふつうはささいな、つまらないことと思われているようなことも、すべてなすべき務めをなすこととして、心を込めてすることです。
「断絶なく思惟する」というのは、一日中むずかしいことを考えているということではないと思います。
そして菩薩の行動指針の中核は、いうまでもなく六波羅蜜であり、その目標は、衆生すなわち自他をともに抱きとり、救いとる方便・巧みな方法を備えた智慧を得ることです。
「四摂法(ししょうぼう)」とは、布施、愛語・やさしいことば、利行・ためになることをすること、同事・協力一致することの四つで、六波羅蜜と重なっていますが、「愛語」が特徴です。
人間はことばの動物であり、ことばには人を殺しもし生かしもする驚くべき力があるのです。毎日、ひとに対してどんなことばを使うか、心したいと思います。
そして菩薩は、方便を備えて、善人だけでなく悪人にも無二の親友となるといわれています。
これは、とても困難な行で、マナ識を抱えたままでは不可能です。平等性智によってのみ実行できることです。
そこで、平等性智を含めた智慧を得るために、よい師について、尊敬の思いを持ちながら真理のことばを学び、気晴らしの刺激や楽しみをあえて離れ、静かな場所で瞑想しつづけるのが、菩薩のカルマ・生き方です。
菩薩の特徴の20番目「三昧を修行して無色定を超越すること」を少し説明していただけないでしょうか。特に『無色定を超越する』というところがよく理解できません。
お返事が遅くなりました。
原始仏典である『阿含経』以来、「九次第定」といって、禅定の深まりに九段階あるとされています。それは、欲望にとらわれた世界・欲界、欲望からは解放されたが物質性・色が残っている色界、物質性が超越され精神性だけになった世界・無色界という世界のレベルを三段階に分ける考え方に対応しています。 禅定としては、色界からスタートして最高段階の無色界に達した禅定の上に滅尽定というのがあり、大乗の菩薩の禅定はさらにその先・上にあるとされています。
そうした大乗の考え方には、自分の心の安らぎ、煩悩の克服だけを目指すのではなく、一切衆生との一体感を目指すという菩薩の理想が込められているのではないかと思われます。
ご参考までに。
菩薩には滅尽定というさらにその上があるのですね。
凡夫には気が遠くなるくらいですが。しかし禅定は
一直線状ではなく、ループしているようですから、らせん状にどこまでも広がりながらすべてを包みこんでいく、このように理解しました。
このような道程が記されているということは、ありがたいことだと思います。
ありがとうございます。