私は自己評価が低い。
十年以上前のことだけどある集まりで
FOXYの前田義子さんと同席したことがありました。
以前のブログにも書いたけど
前田さんは姉と小学校以来の友人で
私の母もよく知っています。
その頃もうビジネスが成功して
ニューヨークに住んでいた前田さん。
私といる前田さんを見て母がいいました。
「のんこちゃんはすごいわねえ。
うちの娘たちものんこちゃんみたいだったら
よかったのに」
お世辞とかじゃなく心底実感込めた言い方。
前田さんは「なんてこと言うのママ」
ってたしなめてくれたけど
母は重ねて彼女みたいになってほしかった
という娘に対する夢を語り
私自身が(ほんとその通りだわ)と
思って聞いていました。
それを横で聞いていた長男が
母がいなくなると言いました。
「自分の子供を人と比べるとか最低だな。
俺ばあちゃんのこと大っ嫌いになったわ」
それを聞いてびっくりしました。
え? そうなの?
それ最低なことなの?
全然そんなふうに思ってなかった。
母の言葉を
普通に受け入れてしまっていました。
世間に認められるような活躍もしてない
ごくごく普通の一般人の自分は
大して価値がないって
自分で思ってしまっていました。
そうか自分をそんなふうに思う必要ないんだ。
以来、自分が自分をどう見ているのかを
考えてきました。
何度も書いているけど
「ありのままを肯定キャンペーン」を張って
優秀でなければならない、
社会的な地位が高くなければならない、
人に認められなければならない、みたいな
自分をダメだと思ってしまう基準を
意識して手放すようにしてきました。
私は辛口で有名だけど
人のダメなところをあげつらっていると
自分はまだましと思えて
低い自己肯定感が
少しだけ慰められることにも気づきました。
そして以前は嫌いだった自分の写真も
「可愛いじゃん」って見れるようになってきました。
すこしずつですが
自分に対する評価を取り戻してきました。
そういう意識で見るせいか
最近よく話題にのぼるSNSのアンチコメントは
傷ついた心の叫びみたいに見えます。
「私はこの程度で我慢してるのに
あなたごときが偉そうに言うんじゃない」
「私はこんなに努力してこれを手に入れたのに
そこまで頑張っていないあなたが
評価されてるのは許せない」
「自分は全然むくわれないのに
ちゃっかりうまくいってて許せない」
あるプラスサイズモデル(ちょっとぽっちゃりな
ファッションモデル)の方に
執拗に喰いついてるアンチの方がいました。
曰く「よく恥ずかしくなくモデルをやっていますね、
すぐやめなさい」
曰く「何の努力もしていない、痩せなさい」
曰く「顔だってたいしてよくない」
スレ主を美しいと思う人もいて
お仕事の需要もあるから活躍している。
コメント主の方は
さぞかし細くて顔も美しいんでしょうから
需要は被っておらず何の迷惑もかかっていないはず。
なのに責めずにいられない。
コメント主の方は
自分そのものに価値があるとは思っておらず
「痩せた」自分だからこそ価値があると思っていて
そこを揺さぶってくる存在に
気持ちが波立ってしまっているように見えました。
そして(たぶん太っていたであろう)
過去の自分を今も嫌っていて
元の自分に戻ってしまうことを恐れて
たくさんの事を自分に課していて
ストレスもいっぱいみたいに見えました
自分の価値だと思っているものを
覆す存在に怒りをぶつけずにいられない。
でも、
それで相手がこの世界から消えても
きっとまた別の相手に同じことを感じるだけ。
アンチコメントでやりこめても
決して解決することのない
自分の心の傷に気づいて
ありのままの自分を
認められるようになったらいいのになと
思ってしまう。
ただの投影かもしれないけど。