ふわり・舞う・毎日

気持ちに余裕がないと、心の泉が枯れちゃうもんね。

レジ袋哀歌

2008年09月10日 | 日常雑記
世の中の流れに合わせて、近所のスーパーでもレジ袋が有料化されることになった。
資源を大切に、の心は理解できるので、有料化自体には異を唱えるつもりはない。
ただちょっと困るかなと思うのは、レジ袋を買うこと自体が肩身の狭い思いをしそうだ、ということ。

レジ袋は、我が家にとってなくてはならないアイテムだ。
トイレ、洗面所、台所、リビング、寝室など各部屋にあるゴミ箱にはそれぞれレジ袋を入れてある。
ゴミの日には、中身が少ないゴミ箱からは中身だけを他の袋に移し、なるべく捨てる袋を少なくしてゴミステーションに持っていく。
夫婦二人の生活では、市販の45Lのゴミ袋は3日やそこらではいっぱいにはならない。
でも生ゴミがある以上、一週間も溜めておく気にはなれないから燃えるゴミの日にはちゃんと持って行きたい。
回収が週に一度であるプラゴミ、資源ゴミなども、レジ袋なら満杯にして出せるちょうどいい大きさなのだ。
もちろん、釣りに行く時の汚れ物入れ、写真旅行の時の汗がついた着替え入れ、車の中のゴミ袋など用途は幅広い。

市販のゴミ袋を買うつもりで、レジ袋にお金を払うと考えれば、払うこと自体には不満はない。
いまどきの多くのレジ袋は「燃やしても有害なガスを発生させません」というモノが多いので、ゴミ袋として使うことに問題はないと思っている。
ただ、レジ袋を買う=資源を大切にしない、エコじゃない人間、と毎度毎度レジで見られるのも本意ではない。
かといって、市販のゴミ袋を買って、ゴミの日に袋いっぱいにできないまま中身がスカスカの袋を捨てに行くのも抵抗がある。
加えて、各部屋のゴミ箱に袋を入れずに直接ゴミを入れることにも抵抗がある。
鳥のエサのカスや、フンを拭いたティッシュ、鼻をかんだティッシュなどを直接ゴミ箱に入れて、ゴミ箱が衛生的でなくなってしまうのが気になるのだ。
それならゴミ袋を入れて少なければ他に移し、時々袋ごと捨てて新しく入れ替える方が理に適っているのではないか。

近所のスーパーのレジ袋が有料になるまでに、あと約1ヶ月。
それまでは毎回お買い物に行くたびに「レジ袋が有料になります。マイバッグの持参をお願いします」というチラシを受け取り続けなければいけないんだろうな。
ちょっと憂鬱になる。
いっそ、レジ袋型のゴミ袋を、どこかで売り出してくれないだろうか。
それがダメなら、レジ袋型の市販の袋を探して買ってくるしかないのかな。
(同じお金を払うなら、わざわざ買いに行くよりレジで買った方が楽なんだけどなぁ)