映画『実録・連合赤軍』ーあさま山荘への道程ーを見た。
私は2000年に連合赤軍に関連する文章を個人誌『木洩れ日』にまとめているので、関係の書籍をかなり読んだが、若松孝二監督による脚本は、ほぼ忠実にストーリーを組み立てている。それでも3時間余りに映画をまとめるためには、大分編集せざるを得なかっただろうなと思った。
映画を見ての、まず感想は、「これ見てる人は、きっと、なぜこの山の中で、死に至る総括と称する追求=リンチが行われなければならなかったのか、さっぱりわからないだろうな」ということだった。
私は、彼等と同世代だが、新左翼の活動家でも、その同調者でもなかったので、やはりわからない。
ウェブサイト上の映画感想なんかを見ても、団塊の世代より若い人ばかりなので、やっぱりわからない、という感想が殆ど。
中に旧日本軍のいじめ体質そのまま、と言う感想があったが、それが一番正確に言い当てているのではないだろうか。
彼等は大真面目に「革命」などと言っているが、「カルト集団」と言っていいだろう。
森恒夫、永田洋子という二流、三流のリーダーが、人里はなれた山小屋という閉鎖空間で、同志を掌握するために、最も愚劣な方法にすがった、と言うことだと思うが、たとえば、永田が女の同志に対して、髪が長いだの、指輪をしてるだの、化粧をしてるだの、と些細な日常行動から追求を始めるのは、当時、中国で荒れ狂っていた「文化大革命」での、紅衛兵らによる「反革命分子」への追求を頭に置いてのものだ。
永田が属する「革命左派」というグループは、中国の毛沢東が提唱した「文化大革命」に共鳴して、共産党から分派した組織が元になっている。
永田は毛沢東夫人の江青の役割を担っている。
そして「赤軍派」の森は、赤軍派内部の抗争の際、直前に逃げ出すという過去を持つ、本来気の弱い、臆病な人間なのだった。
それが彼の上にいたリーダーたちが、逮捕、海外逃亡などでいなくなり、リーダーになるはずのない人間がリーダーになってしまった。しかも、以前逃亡してしまったということを何より気にしていた森は「今度は絶対逃げ出さない」といいうことを心に誓って戻ってきたという。
必要以上に戦闘的であることを同志達に見せなければならないのだった。
永田洋子は、「憑依する」というタイプの人間だ。憑依した人間は他を圧倒する。
「カルト集団」にはなくてはならない存在だ。
森は臆病だが、空疎な革命理論を振り回すのは得意だった。
森・永田の二人は最強にして最悪のコンビとなった。
総括追求が暴力にエスカレートしていくのは、やはりそれまでの新左翼過激派の運動が暴力に彩られ、暴力で相手勢力を圧倒しようとしてきたことの延長ではなかったか。
「連合赤軍」が何をしようとしていたかというと、「殲滅戦」という、具体的には各所の交番を襲って、「国家権力の末端の手先」である警察官を一人、一人殲滅していくというテロ行動だった。
しかし映画では、彼等の表面上の行動履歴を追うのが精一杯で、内面に踏み込む余裕がなかった、というふうに感じた。
また、若松監督自身、当時、新左翼運動に理解を示していた立場だったと思うので、客観視できていない、突き放せないでいるとも感じた。
だから「わからない」と言う感想になるのだと思う。
出演の若い役者さんたちも、どういう気持で演じればいいのか、わからない、手探りのまま演じたのでは・・・。
ところで、山で総括追求され命を落とす、遠山美枝子を演じたのは、坂井真紀という女優で、彼女39歳だそうだが、遠山美枝子は当時25歳。10才以上の差があるのだが、それ程違和感はなかった。
ちなみに遠山はパレスチナに出国していった日本赤軍の重信房子の親しい友人で、重信役も映画に登場する。
若い頃の重信は、髪を長くして、黒いセーターをスマートに着こなしたりして、「女王」のような目立つ存在だった。
よく見ると、それほど目鼻立ちが整っているというわけではないのに、男の活動家は「美人だ、美人だ」と騒いでいたようだ。こういうのを雰囲気美人と言うのだろうか。