木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

天災と人災と政治の劣化との複合災害

2011年04月09日 | Weblog

福島原発事故の終息は見えない。
というのに、国会では3月31日参議院で、日本とヨルダンの原子力平和利用協定に対して、賛成230、反対11で可決したという。
これほどの事故を起こし、この間の政府の原子力行政や東電のでたらめぶりが日に日に明るみに出ているというのに、国会議員の危機意識のなさ。つくづく政治家の劣化を感じる。
反対票を投じたのは社民党・共産党所属の議員と沖縄選出の無所属議員糸数慶子氏だけである。
2大政党政治に無理矢理導くための民意を反映しない小選挙区制度のもと、勝ち抜くのは財界及び、大企業や公務員の労働組合の連合体に後押しされた、大多数の国民の幸せを考える志を持ち合わせない「権力とお金」だけが好きな「亡国の徒」ばかりだ。
小選挙区制度により政権交代可能な2大政党に収斂させて、政治の停滞を打破するべきだと、旗をふったという点で、私がまず思い浮かぶのは北大教授の山口二郎氏だ。
その山口氏は、政権交代なった、民主党の国民への裏切りぶりに対して、その理論的支柱になった自身の浅はかさと誤りを素直に認め、謝罪すべきなのに、決してそうしようとはしない。
弁解すらせず、八つ当たりしている。
自分の誤りなど認めたら、北大でもそれ以外でも学者として信用されなくなると、牙城を死守する構えだ。
哀れで醜い。
これは原子力の専門家と言われてきた学者群も同様だ。
こんなひどい政治状況に地震と津波と原発事故が一度に襲いかかった。
政治家の顔が全く見えない。
そんな時に人々が減税日本の河村氏や大阪維新の会の橋下氏のような人に希望を託してしまう現象はよくあるパターンだ。
全く機能を果たさない議員達をみれば、「議員定数削減だ」という叫びに共感してしまう。
しかし選挙制度をこのままにして、定数のみ削減すれば、社共や無党派の市民派政治家は、ほぼ淘汰されてしまう。
多様な考え方の議員達が国会で論戦し、あるべき地点を見つけていくのが民主主義の原点だ。
共産党の議員が増えたからといって、直ちに共産党政権ができるわけではない。
共産党の提案は、今現在の日本国民の大多数にとってむしろ有用であり、必要なことでもあると私は思う。
共産党そのものが理想的かどうかではなく、その社会的・政治的提案の中身が自分にとってどうなのか考えてもいいのでは。
福島原発の放射能汚染が依然予断を許さない事態なのに、それでもまだ「原発稼働を」と言う人々がいる。
福島の事故を教訓により安全なシステムをと言うが、原発稼働には、直接放射能が付着した原子炉の配管などを布でふき取ったりする仕事に従事する「沈黙の現場労働者」達が必要なのだ。
その人達は5年、10年と経つ間に白血病やガンを病んで死んでいく。
そして大事故が起きれば、ゴーストエリアを作り、大気や海に流れ出た汚染物質は地球を覆っていく。
原発は日本に54基、アメリカには100基以上、フランスは電力の8割が原子力でまかなわれているというし、お隣韓国にも原発は21基ある。
それに核保有国の核兵器。地球は実に恐ろしいものを抱え込んでしまった。
人類の滅亡はそれほど遠い先のことではないようだ。

コメント
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