「明治日本の産業革命遺産」世界文化遺産への登録推進への中・韓の不信。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」では久坂玄瑞が「日本国をこのままにしておいてはいかん」とむなしい?叫びをあげていたが、久坂自身は幕府の崩壊・明治維新に立ち会う前に死んでしまったわけだが、この「明治の世」なるものを再考してみる必要がありそうだ。
「脱亜入欧」、「富国強兵」、「殖産興業」が近代日本の推進目標になったわけだが、その時、日本が欧米帝国主義を手本にその矛先を向けたのが、先に欧米に蹂躙された中国・朝鮮だったわけで、日清・日露の戦争、朝鮮植民地化への布石の数々、これを素通りして、あるいは肯定して、近代日本を捉えてはならないと思う。
中国・韓国の不信感には十分理由がある。徴用なり強制連行に至る以前の略奪の上に明治日本の発展があった。
志士達の師である松陰も朝鮮侵略を当然視し、西郷隆盛もまた「征韓論」を唱えた。
福沢諭吉の「脱亜入欧」のアジア蔑視が開国日本の中心思想の位置を占めた。
日本は古代より他国の文物を取り入れ、それを独自に発展させることを得意としてきた。これが時代の流れにうまく乗る変わり身の早さとなって、他国を唖然とさせる変身を遂げて来た。
このような日本に対して、中国や朝鮮は本流のプライドが、変わることに抵抗させ、日本に先を越される事となった。
私自身も昭和の中国侵略・太平洋戦争には注目してきたが、それ以前の明治時代の日本の対中国・朝鮮への挑発をあまり視野にいれていなかった。
朝鮮植民地化に至る事件のひとつに「閔妃暗殺」がある。これなど実に乱暴な日本の犯した罪で、例えて言うなら皇居に侵入して、美智子皇后を暗殺したようなもの。時の明治天皇はこの暗殺者三浦梧楼を称賛する言葉を言ったとされる。
私たちは明治の歴史を東アジア全体の視点で見直す必要がある。司馬遼太郎の小説世界だけで「明治」を見てはいけない。