木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

普通の生活者が壊されるグローバル化、映画「家族を想うとき」

2020年02月08日 | Weblog

お湯仕事であかぎれ
大した水仕事もしないのにあかぎれができてしまった。高齢になったのとお湯で洗い物をしたりするせいだ。みんな薄い手袋をして水仕事するらしくてあかぎれはできないようだ。
『かあさんの歌』というのがある。この曲を作った人は長野県の信州新町に疎開していて寒い信州の冬の主婦の家事を歌ったらしいのだ。
今では信州新町のテーマソングになっていて、道の駅などに行くとこの曲がかかっている。メロディーだけなので季節関係なしだが、私はリアルタイムでこの歌を聞いたり歌った世代なので今はしみじみとこの歌を自分で唄っている。

『家族を想うとき』を見る。
今日(土)は一日中雪が降るあいにくの天気だが、昨日は冷え込みはきつかったが天気が良いので映画を見に出かけた。昨年あたりまでは大病の影響もあって外出する元気がなかったが、今年は自分の足で外出できる時間もあまり残されていないと思うせいか、映画を見に行く元気が出て来た。時間を見つけて散歩しているので歩くのは苦にならない。
英国の社会派映画監督ケン・ローチの映画は「麦の穂をゆらす風」、「私はダニエル・ブレイク」、「この自由な世界で」とみて来た。
イギリスは先頃EU離脱を決定したが、その理由が自由な行き来により移民が押し寄せて来たことへの従来の英国民の不満があるとも言われているが、この映画の家族も元々はそういう人々かもしれない。
主人公のリッキーは失業し、今はフランチャイズ形式の宅配ドライバーとして働いている。妻は訪問介護の仕事。ぎりぎりの生活で一家は疲れていく。
二人の子供兄は高校生だが不安定な思春期、何かと問題を起こす。妹は優等生だが両親の経済的苦境ゆえの不和に心は不安である。
日本も同じだと思った。児童虐待や様々な事件の多くが普通の人々が経済的苦境、富める者による搾取のシステムに否応なく組み込まれていることによって引き起こされている。
経済のグローバル化が人々に幸せをもたらさないシステムであることがはっきりしてきた。
このままだと普通の生活が崩壊する。世界中で。

コメント
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