武蔵野の尾花がすゑにかゝる白雲と詠しハむかしむかし、浦の苫屋、鴫立つ沢の夕暮に
愛て仲之町の夕景気をしらざる時のことなりし・・・
有名な冒頭の文章ですが、調べてみたらこれは続古今集にある和歌でした。
武蔵野は月の入るべき峰もなし尾花がすゑにかゝる白雲 大納言道方
また、「浦の苫屋」、「鴫立つ沢」と書いていますが、これは言うまでもなく三夕の和歌の終語を引
用して、昔の人は秋の夕暮れは寂しい趣に満ちていると言ったが、同じ武蔵野であっても、今の江
戸は吉原仲之町の夕景色なんぞをみれば管弦さんざめく酔客の衢であり、新古今時代の趣とはま
るで別世界のようですね、と言っているのです。そして一九はそれを肯定しています。ちょうどわた
したち世代が経済の高度成長に酔っていた時代相とそっくり重なります。
栃面屋弥次郎兵衛というこの物語の主人公の名前ですが、栃面屋とは商家の屋号だろうぐらい
に思っていたのが、なかなかそう単純でないと書いた本がありました。栃面棒を振るという詞があ
るように「トチフル」という動詞から出た語で慌て者、粗忽者、ぶらぶらしている者の謂だそうで、勿
論褒め言葉ではない。
弥次郎兵衛(ヤジロベエ)というのはそういう名の玩具があり、落後には弥次郎という大ホラ吹き
の噺があります。それらの要素(皮肉・滑稽・当てこすり等)を盛り込んで命名していると知ったとき
に一九の用意の深さをしりました。
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