嵐山は、私にとって我が家の庭であると言っても過言ではない。
何しろ、数年前には1年の内100日も嵐山の春夏秋冬を撮影していたのだから。
元旦に行く事も多い。
今日もそうだった。
運よく京都駅から4人掛けの座席に座れた私は、昨日、発売された月刊誌正論2月号を読んでいた。
冒頭の櫻井さんと織田さんの対談特集。
読みふけっていた私は号泣しそうになった。
櫻井さんも「聞いていて涙がでそうになりました」と。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
最近、月刊誌「正論」は読み残す事が多かったのだが。
日本国民で活字が読める人たちは、最寄りの書店で今月号を購入して、正月休みの間に精読しなければならない。
見出し以外の文中強調は私。
日本よ覚醒せよ 公の精神取り戻せ
麗澤大学特別教授・元空将 織田邦男×ジャーナリスト櫻井よしこ
-織田さん、このたびは第38回「正論大賞」の受賞、おめでとうございます。
審査員全員一致での受賞決定でした。
国のために尽くすのは幸せなこと
織田
それは元自衛官としての責任と感じています。
先日の産経新聞「正論」欄に書いたことですが、国際世論調査で「もし戦争が起こったら、国のために戦いますか」との問いに、「はい」と答えた割合が日本は13.2%で、調査対象79ヵ国中で断トツ最下位でした。
下から2番目だったリトアニアでも32%あまりでしたから、倍以上の差です。
私はいま、大学で安全保障について教えていますが、学生たちにとって私の話すことは非常に新鮮に映っているようなのです。
世の中では安全保障についてほとんど論じられていませんが、日本を取り巻く国際情勢は厳しく、学生たちも「日本は本当に大丈夫なのか」と思っている。
だから私の講義を、目を輝かせて聞いてくれるのです。
そして講義の後、学生がやってきて「私はいざとなったら戦います」と小声で言うのです。
櫻井
それは大きな声で言わないと(笑)。
織田
大きな声では言えないんですね。
講義の途中でも挙手して「日本は79ヵ国中でビリかも知れないけれど、私は違います!」と言うのが普通ではないかと思うのですが。
やはり日本特有の言語空間のいびつさがあるのだと思います。
こうしたものを一つ一つ打破していかねばならない、それが防衛の最前線で35年間、戦ってきた私の使命なのかなと思っています。
櫻井
私たちは軍事に疎いということもありますが、そもそも国の存在感が戦後、希薄になっているという問題があろうかと思います。
国のために命を投げ出すという発想が途絶えてしまって、会社のために頑張るとか、こぢんまりしたところに人生の意義を見出すようになってしまっている。
戦後の日本は、憲法をみても国の果たす役割がありません。
国は事実上、何もしなくてもいいんですよと書いてあるのが憲法前文です。
国家の土台である軍事はといえば、9条2項で陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないとされていて、交戦権も認められていない。
国は国民を守ることも国際社会におまかせ状態でいなさい、と命じているのがこの憲法なのです。
戦後の国の土台が歪められてしまっているのです。
織田
米国の第3代大統領トマス・ジェファーソンは「最大の国防は良く教育された市民である」と言っていますが、日本の場合は真の教育がなされていない。
私は自衛隊に35年奉職して、それがよく分かりました。
自衛隊での教育とはどのようなものかと、よく聞かれます。
私は「公の復活」ですと申し上げています。
いま学校教育や一般社会では「私」優先で、国家や社会の大切さが軽視されています。
一方、自衛官が最初に制服を着て宣誓するのが「事に臨んでは危険を顧みず」という利他の精神です。
国民のために全力を尽くし、場合によっては自分の命を投げ出すこともあり得る、ということで日教組の教育とは真逆です。
それで自衛隊に入ってきた若者は目覚めるのです。
日本人は古来の伝統に根差す「利他の精神」というDNAを持っているはずですが、それが学校教育で封印されている。
そのDNAを芽生えさせるわけです。
他人のため社会のため国のために尽くすことがこんなに幸せで心地よいものだと分かった瞬間に、隊員の目の輝きが違ってきます。
災害派遣に出ていく自衛官の目の輝きを見てください。
もちろん、自衛官でも変な人間はいますが「犯罪白書」によれば自衛官が罪を犯す割合は一般人の10分の1程度に過ぎません。
自衛隊の教育が総じてうまくいっているのはなぜかといえば、それまで抑えつけられていた日本人の魂・DNAを目覚めさせているからなのです。
国との約束守った大正生まれの父
櫻井
すばらしいことだと思います。
もう少し具体例を紹介いただければ。
織田
入隊した隊員は最初に朝夕の国旗掲揚・降下を実践し、そして「事に臨んでは危険を顧みず」と教えられます。
実際の活動としても空自の航空救難団のモットーとして「That others may live(他を生かすために)」という文言がありますが、他の人を生かすべく自分たちは頑張る、という教育をいろいろなところで受けるわけです。
私がすばらしいと思ったのは、自衛隊のイラク派遣の際に私が2年8ヵ月、指揮官を務めたときのことです。
私の在任中も含めイラク派遣の5年間で、自衛官の事件は1件だけ、それも自衛官が他の車両にはねられたというものだけでした。
不祥事らしい不祥事は一切ありませんでした。
自衛隊がイラクから撤収する際、多国籍軍の指揮官たちとの昼食会があり、そこで「自衛隊には実は軍法も軍法会議もありません」という話をしたら皆、のけぞっていました。
それでなぜ不祥事が起きないのか、と問われ、私が「サムライスピリットだ」と答えたら一同、目を白黒させていました。
実際のところは日本人が本来もつDNAを芽吹かせた結果だと思っています。
他人のために生きる、というのは特別なことではなく、日本人として当たり前のことだといえます。
伝教大師最澄も「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」とおっしゃっている。
こういうことを学校教育で教えてもらいたいものですが、これは家庭でもできる教育です。
そうした家庭で育てば立派な人間になることでしょう。
防衛大学校の入校生でも「将来、自衛官になる」と固い信念を持っているのはほんの2割程度です。
しかし4年間「他人のため国家のために尽くすことはどんなに幸せなことか」と繰り返し教え、それを訓練や実生活を通じて体得した結果として、8割の学生が自衛官に任官します。
自衛隊に入ってくるのが特別な人であるわけではなく、自衛隊の教育が超右翼教育なのでもありません。
きちんとした社会人を育てる教育を行っているだけなのですが、一般社会ではそれが欠けている、ということでしかないのだろうと思っています。
櫻井
公の心を取り戻す教育が大事とのこと、その通りだと思います。
これは、福沢諭吉が「立国は私なり、公にあらざるなり」と言ったことと対にして考えねばならないでしょう。
自衛隊は公の組織だけれども、その中で一人一人の自衛官が私として自分の命をなげうって任務を達成する、すなわち私の心と公の心とを一体化することが国の永続につながるのだと思います。
公は私から成り立っていて、私はまた公によって場を与えられ守られている。
そういうことが、昔の人は物語などを通じて家庭教育で教えられてきたはずです。
例えば『太平記』に出てくる楠木正成は、私を全うして公に尽くし、その生き様を物語として後世に残しました。
しかし楠木正成は戦後、教えられなくなり、そういう教育はいま、圧倒的に不足しています。
織田
私の両親は戦中派で、結婚してすぐに広島県で呉空襲に遭って母の嫁入り道具は全部、焼けてしまったと聞いていますが、両親の世代ですと国家と個人の関係が自然に一体化しているんですね。
その象徴が靖国神社だと思います。
私の父はパイロットだった弟を戦地で失っており、90歳を過ぎても九段下の駅から杖を突いて坂を登って靖国に参拝していました。
父は、靖国神社を毛嫌いする人たちが何を考えているのか、最後まで理解できなかったようです。
父にとって国家と個人は一体化していたのです。
人間の究極の欲望は、天寿を全うすることだと思っています。
その欲望を投げ捨てて国家のために命を捧げた人に対して生きている者が礼を尽くすのは、ごく当然のことでしょう。
父が90歳になったとき、初めて「実はワシは戦艦大和を造っていた」と聞かされました。
父は海軍呉工廠の技官で、戦艦大和の第二砲塔の製造に携わっていたそうですが、なぜ今まで黙っていたのか聞くと「国と約束したからだ。わしももう長くない。もうええじやろう」と。
国と約束したことだから、戦後生まれの私にもずっと言わなかった、ということだったのです。
仰天でした。
櫻井
聞いていて涙が出そうです。
織田
大正生まれの男は、7人に1人が戦死しています。
そうした中で生き残った親父たちの世代では、国家と個人が一体化しているのです。
海外に行ってみれば、そうした関係が通常であることが分かります。
私などはまだ、そうした意識を持っていた大正生まれの二世ですからいいのですが、日本では若い人ほどにそうした公の意識は薄れていきます。
国家と個人の関係をしっかり教える教育をしなければ、日本の日本らしさがどんどん消えていってしまう。
それが唯一、残っているのが自衛隊だと思います。
それにしても、国家に対する思いについて私は自衛隊に入って熱い思いを持っているつもりでしたけれども、親父はもっと熱い思い入れがあったんでしょう。
櫻井
そうした人たちの思いが凝縮されているのが靖国神社だといえますが、その靖国神社がないがしろにされている現状は、非常に恥ずかしいことですね。
織田
国家の恥ですし、精神のメルトダウン(溶解)を引き起こしています。
個人と国家が一体となっているからこそ国家が繁栄するわけですし、国家のために尽くした人をきちんと追悼してこそ国家は成り立つものです。
そういうことを言うとすぐ「右翼」だとかレッテルを貼られて言論を封殺されそうになりますが。
櫻井
私の母は明治末年、農村の生まれで、もちろん軍人でもありませんでしたが、その母の中でも国家と個人は一体化していました。
終戦時にベトナムから、両親は生まれたばかりの私と兄を連れて、一文無しになって引き揚げ船に乗って帰ってきました。
母が東京・上野に行ってみると、あたり一面は焼け野原だった。
後年、母に「そのとき、どんなことを考えたのか」と聞いたのですが、母は「お国はこの先、大丈夫なのだろうかと考えた」と答えたのです。
一文無しで満足に住む家もなかったのに、家族の生活は何とか頑張ればやっていけるが、破壊され尽くした祖国のことの方を心配したのです。
織田
われわれは戦中派の両親に育てられました。
私が防衛大学校に進学するとき、母は「お国に捧げた身だから、頑張りなさい」と言うのです。
戦闘機パイロットになったので、本当は心配で仕方なかったはずですが、それを私には決して言わなかった。
「国のために命を賭けて頑張れ」とは、私などもなかなか息子に対しては言えません。
近年は、そんなことを言うのは悪だといわんばかりの教育がなされています。
「命賭けで頑張れ」と公に教育できるのは、今や自衛隊だけかもしれません。
「国民を守るために、必要最小限に頑張れ」なんてことは言いません。