
皆さん、昨日の「秘密のケンミンSHOW極」をご覧になりましたか?
「ケンミン春のパン祭り」という特集でしたよね。
長野県からは県民熱愛の「牛乳パン」が紹介されました。
主に松本市で取材を行ったようです。
松本には牛乳パンの人気店「小松の牛乳パン」がありますからね。
あの~、牛乳パンって、全国に存在するんじゃないんですか?
大手のヤマザキ製やパスコ製の牛乳パンも、スーパーやコンビニで売ってますよ。
私も今日、パスコの牛乳パンを購入してまいりました。
(まさか大手が長野県民向けだけに発売しているのか?)


ケンミンショーのナレーションで、「発生には諸説ある。同時多発的に県内で製造された---」と。
しかし、私は、以下の説を信じたいのです。
以前、新聞で紹介されていた牛乳パン誕生の逸話です。
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朝5時頃に年配の女性が店に来て「パンはありませんか」と聞かれ、「こんな時間にはないよ」と一度は断ったがジャムがあったと考え直し、女性が「どんなパンでも良い」というのでそこにあったパンにジャムを塗って渡した。
翌日もまた来店し昨日のパンが欲しいというが、今度はジャムがなかったため、近くにあった菓子用のバタークリームを塗って挟んで渡した。
するとまた次の日にも来店し、「昨日のパンをいくつでも良いから欲しい」と言われた。
近所で日雇い人夫(長谷ダムの建設)の賄いをしている人だったようで毎日訪れるようになった。
社長が「中坪、ひょっとしたらこれは売れるかもしれんぞ」と商品化したところ飛ぶように売れ、最盛期には一日1,000個以上焼いても追いつかないほどで寝る間もなかったという。
当初牛乳は入っていなかったが、なかなか牛乳を飲むことができない当時の食糧事情にあって、栄養価の高い牛乳をパンの名称にしたことも人気商品となった要因の一つ。
そして実際にパンの生地に牛乳を入れるようになったのは、人気が高まった翌年以降の話。
人気の高まりを受けて、長野県パン組合の理事長を務めていた社長に、組合に加盟している各店主から牛乳パンの講習会を行うよう要請があったことで、中坪氏の指導による講習会が行われた。
当時中坪氏は他店に教えることは反対だったが、社長の「みんなに教え、共有して広げるべきだ」という考えで二日間説得され講習会の講師を務めた結果、県下各地に広がり今に至る人気商品となった。
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この記事に出てくる中坪さんというのは、中坪兼吉さんとおっしゃり駒ケ根市在住。
昭和30年頃、まだ若かりし頃の中坪さんが伊那のパン屋で働いていたときのものです。
で、その中坪さんが働いていたパン屋というのが、伊那市坂下宮本町にあった「若増製パン」だというのです。
私の実家のすぐ近く。
(私は本年度、この宮本町の町総代です)
確かに子供の頃までは、若増製パンってありましたよ。
ときどき、親から食パンを買いに行かされたものです。
そんな身近な存在だった若増製パン。
なので、上記の新聞記事を読んだとき、震えましたもの。
まあ、諸説あるでしょうが、牛乳パンのルーツがこんな極近にあったなんて---。


それにしても、私も誤解が多かったです。
牛乳パンというのは、パンに挟んであるクリームが牛乳を使っているとばかり思っていました。
しかし、実際はバタークリームだったとは。
正解は、生地に牛乳を練り込んでいる---でした。
最近の大手のパッケージには牛乳パンでは無く、「牛乳入りパン」と記載してあるものもあります。
道の駅や産直市場で、牛乳パンのレトロなパッケージを見ると、無性に食べたくなります。
牛乳パンは、地元のパン屋製造のものが、それぞれ個性があって美味しいです。