昨日のあざいお市マラソンは、長浜市主催というよりは、旧浅井町のイベントだと感じました。
会場の浅井文化スポーツ公園施設は大変立派。
スポーツ施設として海洋センター、上屋付プール、野球場、全天候型テニスコート7面、公認陸上競技場、ふれあいグラウンド、屋内ゲートボール場など、文化施設では、図書館・資料館がありました。
滋賀県東浅井郡浅井町は、2006年2月13日に長浜市、びわ町と合併し、新しく長浜市となりました。
長浜も歴史ある街ですが、浅井町も負けていません。
浅井の名は、もちろん、戦国時代の北近江を治めた浅井氏から来ています。
3代目の浅井長政と妻のお市、3人の娘(茶々・初・江)はあまりにも有名です。
江と秀忠の娘・和子は、後水尾天皇に嫁いでおり、今の皇室に繋がっているので、浅井長政の血を受けついでいることになります。
信長に負けた長政でしたが、子孫は繁栄しています。
走り終わった後、車で旧浅井町を回りました。
小室城の説明板です。
小堀遠州の遺領を継いだ政之によって慶安元年(1648)に築かれた居館です。
浅井の特産物を売るお土産やさんの隣に、さりげなく、無料でこうして見せています。
説明や、大河ドラマの撮影で実際に使用した衣装が実物展示されています。
「戦国大河あざい館」、浅井歴史民俗資料館です。
小谷城の地形を表しています。
日本五大山城の一つで、標高約500mから南の尾根筋に築かれました。
長政とお市の屋敷もありました。
秀吉の直筆です。
後期はほとんどが代筆ですので、珍しいものです。
こちらは、石田三成の直筆です。家臣に250石与えています。
ジオラマも作られています。
鍛冶の展示です。
浅井は、頼朝以来、鍛冶が盛んになったところです。
鉄砲の国友も近く、秀吉や信長がこの地域を重んじた理由がわかります。
左が1升舛、右が浅井舛です。
浅井舛は、8合しかありません。
浅井氏は、領民のためにこの鱒で年貢を集めました。
こちらをのぞいてみました。
養蚕の展示がありました。
古代聖徳太子の頃からの歴史を誇ります。
姉川古戦場跡です。
浅井・朝倉連合軍1万8千人と織田・徳川3万4千人が戦いました。
その3年後、浅井は滅びます。
浅井は、何度でも訪れたくなる町でした。
会場の浅井文化スポーツ公園施設は大変立派。
スポーツ施設として海洋センター、上屋付プール、野球場、全天候型テニスコート7面、公認陸上競技場、ふれあいグラウンド、屋内ゲートボール場など、文化施設では、図書館・資料館がありました。
滋賀県東浅井郡浅井町は、2006年2月13日に長浜市、びわ町と合併し、新しく長浜市となりました。
長浜も歴史ある街ですが、浅井町も負けていません。
浅井の名は、もちろん、戦国時代の北近江を治めた浅井氏から来ています。
3代目の浅井長政と妻のお市、3人の娘(茶々・初・江)はあまりにも有名です。
江と秀忠の娘・和子は、後水尾天皇に嫁いでおり、今の皇室に繋がっているので、浅井長政の血を受けついでいることになります。
信長に負けた長政でしたが、子孫は繁栄しています。
走り終わった後、車で旧浅井町を回りました。
小室城の説明板です。
小堀遠州の遺領を継いだ政之によって慶安元年(1648)に築かれた居館です。
浅井の特産物を売るお土産やさんの隣に、さりげなく、無料でこうして見せています。
説明や、大河ドラマの撮影で実際に使用した衣装が実物展示されています。
「戦国大河あざい館」、浅井歴史民俗資料館です。
小谷城の地形を表しています。
日本五大山城の一つで、標高約500mから南の尾根筋に築かれました。
長政とお市の屋敷もありました。
秀吉の直筆です。
後期はほとんどが代筆ですので、珍しいものです。
こちらは、石田三成の直筆です。家臣に250石与えています。
ジオラマも作られています。
鍛冶の展示です。
浅井は、頼朝以来、鍛冶が盛んになったところです。
鉄砲の国友も近く、秀吉や信長がこの地域を重んじた理由がわかります。
左が1升舛、右が浅井舛です。
浅井舛は、8合しかありません。
浅井氏は、領民のためにこの鱒で年貢を集めました。
こちらをのぞいてみました。
養蚕の展示がありました。
古代聖徳太子の頃からの歴史を誇ります。
姉川古戦場跡です。
浅井・朝倉連合軍1万8千人と織田・徳川3万4千人が戦いました。
その3年後、浅井は滅びます。
浅井は、何度でも訪れたくなる町でした。