韓国中央日報の記事です。
相当数は事故旅客船の安全点検が不十分で、生徒たちに安全教育もさせないなど事故原因が大人の過ちだと自ら叱責した。会社員のF氏(46、ソウル瑞草区)は「子供たちを沈没する船に置き去りにして船長ら大人たちが先に出てきてしまったが、事故原因でも、お金がさらにかかるからと面倒なことをしようとしない大人たちの欲が投影されたもの」としながら「罪のない子供たちが、あまりにつらい苦痛を味わったことに対して、大人として申し訳ない」と話した。あるネットユーザーは「これまでも惨事が発生するたびに驚いたりしても、申し訳ないという思いにはならなかったが、今回の事故は子供たちに本当に申し訳なく思った」として「私も中高年世代になったが、愚かな世の中を作る一助となった責任があるようだ」とした。会社員C氏(43、京畿道華城市)は「両親や大人、先生のいうことをよく聞けとだけ言って自律的に行動するよう教えられなかったのが気にかかる」と苦々しく語った。
http://japanese.joins.com/article/527/184527.html?servcode=400§code=430より引用
全南(チョンナム)大学教育学科のチャ・ソンヒョン教授は「目上の人を敬う儒教文化に土台を置いた韓国社会の柱の一つが揺らいだ」として「社会の葛藤解消が難しくなりかねず、信頼回復をする努力が必要だろう」とした。
「○○。天国でゆっくり休んで。守れなくてごめんね、そして愛してる」「大人のいうことをよく聞けと言って本当にごめんね」「ひどいこの国を許して」。
http://japanese.joins.com/article/631/184631.html?servcode=400§code=430
儒教道徳により、船内放送の指示を守り逃げなかったことに触れる記事が目立ちました。
しかし、状況から、逃げるという判断はできなかったのでしょうか。
次のような記事もありました。
彼女自身も耐え難いほど怖かっただろう。22歳、大学を休学して乗客案内を担当する乗務員として船に乗ってからまだ1年半だった。だが予想できない事故でも毅然としていた。あわてる生徒たちに3~4階を行き来してライフジャケットを配り、「お姉さんは?」という生徒たちのあせった呼びかけには、こう答えた。「船員は最後。君たちを救ってから、私は後から出て行くから」。セウォル号沈没事故で最後まで乗客を助けて命を落とした乗務員パク・ジヨンさん(22)のことだ。
もう1人の人物が重なる。3年前の3・11東日本大震災当時、日本の宮城県の漁村、南三陸町の役場職員だった遠藤未希さんだ。当時の年齢は24歳。結婚8カ月の新妻だった。マグニチュード9.0の大地震が東北地方を襲った午後2時46分、危機を感知した彼女は2階の放送室に飛び込んでマイクを握った。「高さ6メートルの大きな津波(地震津波)が来ています。直ちに高い場所へ避難してください。海岸付近には絶対に近付かないでください」。津波が陸地まで飲み込むのにかかった時間は30分余り、彼女の声はずっと町全体に鳴り響いていた。その差し迫っていた叫びを聞いた7000人余りの町の人たちが、高い場所へ避難して助かった。結局、建物を襲った津波に飲み込まれた彼女は、地震発生後1カ月以上経ってから、冷たい遺体で故郷の海辺に戻ってきた。
http://japanese.joins.com/article/467/184467.html?servcode=100§code=140
韓国はまだ揺れています。
相当数は事故旅客船の安全点検が不十分で、生徒たちに安全教育もさせないなど事故原因が大人の過ちだと自ら叱責した。会社員のF氏(46、ソウル瑞草区)は「子供たちを沈没する船に置き去りにして船長ら大人たちが先に出てきてしまったが、事故原因でも、お金がさらにかかるからと面倒なことをしようとしない大人たちの欲が投影されたもの」としながら「罪のない子供たちが、あまりにつらい苦痛を味わったことに対して、大人として申し訳ない」と話した。あるネットユーザーは「これまでも惨事が発生するたびに驚いたりしても、申し訳ないという思いにはならなかったが、今回の事故は子供たちに本当に申し訳なく思った」として「私も中高年世代になったが、愚かな世の中を作る一助となった責任があるようだ」とした。会社員C氏(43、京畿道華城市)は「両親や大人、先生のいうことをよく聞けとだけ言って自律的に行動するよう教えられなかったのが気にかかる」と苦々しく語った。
http://japanese.joins.com/article/527/184527.html?servcode=400§code=430より引用
全南(チョンナム)大学教育学科のチャ・ソンヒョン教授は「目上の人を敬う儒教文化に土台を置いた韓国社会の柱の一つが揺らいだ」として「社会の葛藤解消が難しくなりかねず、信頼回復をする努力が必要だろう」とした。
「○○。天国でゆっくり休んで。守れなくてごめんね、そして愛してる」「大人のいうことをよく聞けと言って本当にごめんね」「ひどいこの国を許して」。
http://japanese.joins.com/article/631/184631.html?servcode=400§code=430
儒教道徳により、船内放送の指示を守り逃げなかったことに触れる記事が目立ちました。
しかし、状況から、逃げるという判断はできなかったのでしょうか。
次のような記事もありました。
彼女自身も耐え難いほど怖かっただろう。22歳、大学を休学して乗客案内を担当する乗務員として船に乗ってからまだ1年半だった。だが予想できない事故でも毅然としていた。あわてる生徒たちに3~4階を行き来してライフジャケットを配り、「お姉さんは?」という生徒たちのあせった呼びかけには、こう答えた。「船員は最後。君たちを救ってから、私は後から出て行くから」。セウォル号沈没事故で最後まで乗客を助けて命を落とした乗務員パク・ジヨンさん(22)のことだ。
もう1人の人物が重なる。3年前の3・11東日本大震災当時、日本の宮城県の漁村、南三陸町の役場職員だった遠藤未希さんだ。当時の年齢は24歳。結婚8カ月の新妻だった。マグニチュード9.0の大地震が東北地方を襲った午後2時46分、危機を感知した彼女は2階の放送室に飛び込んでマイクを握った。「高さ6メートルの大きな津波(地震津波)が来ています。直ちに高い場所へ避難してください。海岸付近には絶対に近付かないでください」。津波が陸地まで飲み込むのにかかった時間は30分余り、彼女の声はずっと町全体に鳴り響いていた。その差し迫っていた叫びを聞いた7000人余りの町の人たちが、高い場所へ避難して助かった。結局、建物を襲った津波に飲み込まれた彼女は、地震発生後1カ月以上経ってから、冷たい遺体で故郷の海辺に戻ってきた。
http://japanese.joins.com/article/467/184467.html?servcode=100§code=140
韓国はまだ揺れています。