あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

関ヶ原の戦い-なぜ徳川の時代に?-16-

2009-07-21 12:28:38 | 社会科関連情報
(3)人 格

 家康の面倒見のよさは特筆ものです。
 東軍についた武将、つきたかった武将の多くが、どこかで家康の世話になっているかもしれません。

 たとえば、秀次事件で連座を免れたのは家康の力が大きかったと思われます。
 三成暗殺事件でも家康が仲裁に入っています。
 宇喜多秀家のお家騒動も、家康が仲裁に入り、家康に多くの武将が流れました。 小早川秀秋の降格を救ったのも家康でした。

 まだまだ事例はあります。
 
 では、このような人格はいつ形成されたのでしょうか?

 私は、これも人質時代だと考えています。

 定説では、人質時代は人質の悲哀を味わったとか、陰湿ないじめに遭ったとも言われていますが、それだけではなかったと思います。

駿府での人質時代には、臨済寺には祖母(母・於大の母)である源応尼(華陽院)が、竹千代が元服するまでの8年間、その育成にあたりました。
 そこでは、人のとるべき道について教えられました。

 家康は、人質の子をとても大事にしたという記録も残っています。

 これも、自らの人生を映しての事でしょう。
 
 戦国武将の記録は、敵には悪く書かれ、味方にはよく書かれます。これは当然の事です。
 その行動から客観的に見ても、信長や秀吉とは性格もずいぶん異なるようです。

「人の世にあるは重き荷を負って遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。