交通違反で警察に捕まったときの最強の言い訳はありますか?(悪用する気はございません)
私が、まだ小学校に上がる前後だったと思いますが、明け方の4時頃に両親に起こされまして、「おじいちゃんが大変だから、おじいちゃんの病院に行こう。」と言われました。母方の祖父が危篤だったのです。
実家から、祖父のいる病院までは車で一時間くらいだったのですが、母が動揺していたので、父は車をかなり飛ばしていました。一般道ですが、80kmくらい出ていたかもしれません。大阪の池田市のあたりで、パトカーに捕まったと思います。
それで、母がさらに動揺したものの、父は「止まるしかない」と言い、車を止めました。警官が近づいてきたので、窓を開けると、警官は「かなりスピードが出ていましたが、どうされましたか?」と尋ねたと思います。
父は「妻の父が危篤なのです。」と述べると警官は一瞬、驚いたような顔をして、車の中を覗き込みました。助手席で、真っ赤に目を腫らした母と、後部座席で毛布に包まる就学期前後の子ども数人を見て、事態を理解してくれたようです。
後方に待機している別の警官の方に戻り、何かを話した後、すぐに駆け寄ってきて「パトカーで先導致します。ついてきて下さい。」と述べました。スピード違反で停止させられたのに、パトカーで先導する、という言葉に父も母も驚いていたように思います。
それで、まだ幼かったので記憶違いかもしれませんが、パトカー数台(前方に一台、後方に一台か二台)で先導頂き、たしか赤信号も、そのまま通過したような記憶があります。お陰様で、かなり短時間で病院に到着し、母は何とか、祖父の死に目に会えたのです。
病室に入ると、母は祖父に駆け寄り、震える声で「お父ちゃん、お父ちゃん、来たで。」と大阪弁で話しかけました。祖父は、端からみると、本当に、わからないくらい、微かに目をあけると、言葉ともうめき声とも区別がつかない声で「あぁ」と言葉を発しました。幼い私には、それは人生の幕を降ろす直前に、自分の娘がやってきてくれて、安心した祖父の最後の感情に思えました。
祖父はその日に他界しました。祖父が息を引き取り、数時間、母は泣いていました。ひとしきり泣いた後、母はすっきりした表情で「でも最期に会えて本当に良かった。警察のお陰やわ。」と警察に感謝しておりました。
幼い私は、祖父が亡くなったのに、すっきりした顔をする母の心情が理解できませんでした。しかし、その時の母の気持ちを、少しでも支えてくれたのは「パトカーで先導致します。ついてきて下さい。」と述べた、あの警察官たちであることは、なんとなく理解できたのです。
当時、警察がどのような法解釈で、先導をしてくれたのかはわかりませんが、市民の緊急事態に対しては、保護をしてくれるのだなと思いました。それで、たしか後年に父に聞いたところ、本当はNGなのかもしれませんが、スピード違反もお咎めなしだったようです。
これは、たしかまだ1980年代の後半のお話しで、この頃の日本の交通ルールは、まだまだ未整備なところも多く、車の窓からタバコを投げ捨てたり、缶ジュースの蓋(当時は取れたのです)を投げ捨てたり、飲酒運転も多かった時代だったと思います。その分、警察や公務員にも滅茶苦茶な話は多かったと思いますが、このような市民を守る、というような話しもあったのです。
なので、いまはそういうお目溢しがあるのかは知りませんが、交通違反で捕まった際には、きちんと事情を説明するというのは、事情に応じて、配慮を頂けるかもしれません。なんてたって、警察官は正義の味方なのですから。
今ではなかなか考えられませんが、こんなことがあってもよいのでは…?