NHKスペシャル 浮世絵ミステリー 写楽 ~天才絵師の正体を追う~ を紹介しています。
ドイツの美術研究家ユリウス・クルトは、「東洲斎写楽は、レンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家である」と激賞しました。
確かに、その作品は大胆、個性的で、「天才」と呼ぶにふさわしいでしょう。
ただ、10ヶ月の間に約145点余の錦絵を出版した後、忽然と姿を消してしまいました。
その正体は、阿波の能役者 斎藤十郎兵衛 というのが番組の説です。
能の世界では自分の力を発揮できないと感じた斎藤十郎兵衛は、偽名を用いて、蔦屋 重三郎の版元から役者絵を出版しました。
初期の作品は構図が大胆で、当時の常識からかけ離れたものでした。
ただし、肝心の役者から不評だったのです。
「女形」なのに男に見える。
実際より若く描いて欲しいのにそうでない。
写楽は、鋭い観察眼で、見たままを描いたのです。
それが、蔦屋重三郎には面白くありません。
写楽の作品は、4期に分かれます。
第1期が寛政6年5月(28枚、すべて大版の黒雲母摺大首絵)
第2期が寛政6年7月・8月(二人立ちの役者全身像7枚、楽屋頭取口上の図1枚、細絵30枚)
第3期が寛政6年11月・閏11月(顔見世狂言を描いたもの44枚、間版大首絵10枚、追善絵2枚)
第4期(春狂言を描いたもの、相撲絵を交える)が寛政7年1・2月とされる。
後になればなるほど、絵が小さくなり、紙質が落ち、筆も雑になります。
いわゆる、粗製乱造になったのです。
これは、番組では、売り上げを追求する蔦屋重三郎の要望に沿ったものであり、最後は利用価値のなくなった斎藤十郎兵衛を首にしたのか?、または、思うような絵を描かせてもらえない斎藤十郎兵衛自身が、自ら筆を置いたのか?と考えていました。
いずれにしろ、天才過ぎて、当時受け入れられなかった者の悲哀を感じます。
2011年5月14日(土) 午後3時40分~4時29分には再放送もあります。
ぜひご覧ください。
ドイツの美術研究家ユリウス・クルトは、「東洲斎写楽は、レンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家である」と激賞しました。
確かに、その作品は大胆、個性的で、「天才」と呼ぶにふさわしいでしょう。
ただ、10ヶ月の間に約145点余の錦絵を出版した後、忽然と姿を消してしまいました。
その正体は、阿波の能役者 斎藤十郎兵衛 というのが番組の説です。
能の世界では自分の力を発揮できないと感じた斎藤十郎兵衛は、偽名を用いて、蔦屋 重三郎の版元から役者絵を出版しました。
初期の作品は構図が大胆で、当時の常識からかけ離れたものでした。
ただし、肝心の役者から不評だったのです。
「女形」なのに男に見える。
実際より若く描いて欲しいのにそうでない。
写楽は、鋭い観察眼で、見たままを描いたのです。
それが、蔦屋重三郎には面白くありません。
写楽の作品は、4期に分かれます。
第1期が寛政6年5月(28枚、すべて大版の黒雲母摺大首絵)
第2期が寛政6年7月・8月(二人立ちの役者全身像7枚、楽屋頭取口上の図1枚、細絵30枚)
第3期が寛政6年11月・閏11月(顔見世狂言を描いたもの44枚、間版大首絵10枚、追善絵2枚)
第4期(春狂言を描いたもの、相撲絵を交える)が寛政7年1・2月とされる。
後になればなるほど、絵が小さくなり、紙質が落ち、筆も雑になります。
いわゆる、粗製乱造になったのです。
これは、番組では、売り上げを追求する蔦屋重三郎の要望に沿ったものであり、最後は利用価値のなくなった斎藤十郎兵衛を首にしたのか?、または、思うような絵を描かせてもらえない斎藤十郎兵衛自身が、自ら筆を置いたのか?と考えていました。
いずれにしろ、天才過ぎて、当時受け入れられなかった者の悲哀を感じます。
2011年5月14日(土) 午後3時40分~4時29分には再放送もあります。
ぜひご覧ください。