《 何も見ない、何かを見せる 》
もともと、子どもたちが調べたことを発表する時の約束としたのが「何も見ない、何かを見せる」。
「何も見ない」ためには、自分で理解しなければいけない。
理解を超えるようなことは、調べ直すか、除外するよう指導すべきである。
国語の苦手なゲーム好きな子が、そのゲームのおもしろさを何も見ないでスラスラ教えてくれた。
だれでも、理解さえすれば、何も見なくても話せるようになるものなのである。
子どもには原稿をもたせない方がよい。
もちろん、段階を踏んだトレーニングが必要だが・・・。
「何かを見せる」のは、集中化・具体化のためである。
子どもの説明はどうしても教師ほどの要領を得ないため、聞く子を集中させ、わかりやすくするための手だてが必要だ。
これらは、教師にも必要なことで、原稿を読むような話は、まず伝わらない。
聞く人の目を見ながら語りかけることで、はじめてメッセージは伝わる。
そして、時々何かを見せることで意識を集中させることができる。
例えば、ロッカーの整頓をさせたいときにはどうするか?
悪い状態の写真と、完璧に整頓させた写真を見比べさせればさせればよい。
見栄えだけでなく、空間も広がり、効率的であることが一目でわかる。
くどいお説教よりよほど効果がある。
「ハンカチを持ってこさせたい」時にはどうするか?
私は「先生は汗かきなのです」といって、ズボン、背広などのポケットから、次々に8枚のハンカチを出して見せた。全校が注目し、大受けであった。夕食時の家族の話題になったそうである。
PR効果はこうしたことで生まれる。
ちょっとした工夫で、子ども達は集中する。