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愛知用水

2009-10-22 05:52:07 | 郷土の歴史
今学校訪問のシーズンです。
4年生社会科では、郷土を開いた人々の学習が行われています。

比較的新しいところでは、愛知用水をはずすわけにはいけません。

9月30日に、愛知用水の通水式が行われました。1961年のことです。
尾張丘陵部は、昔から水不足が問題になっていた地域です。そのために、江戸時代には、江崎善左衛門ら六人衆が入鹿池をつくり、さらに木津用水や新木津用水を開削し、新田開発が進みました。
その昭和版が愛知用水です。尾張丘陵部から知多半島にかけての一帯に農業用、工業用、上水道用の水を供給している用水です。



岐阜県八百津町から知多半島南端の南知多町に至る112キロメートルの幹線水路と、幹線水路から分岐して農業用の水を導く支線水路1,012キロメートルからなります。
Wikipediaによれば、第二次世界大戦後、浜島辰雄元陸軍幼年学校教官の発案に吉田茂が協力し世界銀行の融資を受け、アメリカ合衆国の進んだ土木技術、建設機械を用いて、わずか5年間で6,800立方メートルを蓄えるダム(牧尾ダム;写真)、幹線水路、支線水路を建設しました。



日本も、戦後はODAの恩恵を受けていたのです。
ちなみに、東海道新幹線や黒部第四ダム、東名高速道路もODAのお金で建設しました。その借金を返済し終えたのは平成2年です。

この愛知用水は、ため池に頼っていた尾張丘陵部、知多半島の農業・井戸に頼っていた住民の日常生活を著しく向上させました。



なかでも、知多半島南部や日間賀島・篠島・佐久島の住民からは特に感謝されたようです。また、この用水によって、今の新日本製鐵名古屋製鉄所もつくられることになりました。

愛知用水がなければ、今の愛知県の繁栄はありません。発案者や決断者、建設時に不幸にも殉職された50名の方々に感謝せずにはいられません。

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