あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

東アジア共同体の幻影-3-

2010-03-08 06:23:26 | 社会科こぼれ話
質問をいただきました。
「理論的に最も進んだ政体として、ナチス・ドイツ型政体をめざした」というのはどういうことなのでしょうか?

歴史は、今だから語ることが出来るのです。
「ナチス・ドイツなんてとんでもない」というのは、今だから言えることで、当時の大半のドイツ人の支持を得ていました。

世界恐慌以後の日本ではどうか?

当時のソ連やイタリア、ドイツは、一党独裁による挙国一致体制が進められていました。
それは日本から見て、経済成長の特効薬のように見えたのです。
昭和研究会のメンバーは、この流れを世界の流れと考えていました。有名な、「バスに乗り遅れるな」というスローガンはこのことをいいます。

黒船の時もそうですが、強力な外圧には国内がまとまらなければいけません。
日本を防衛するために強力な政治団体が必要と感じた近衛文麿が結成したのが、大政翼賛会だったのです。

新体制運動としてこの流れを作った昭和研究会の中心メンバーを見てみましょう。

後藤隆之助;中心メンバーです。方針の一つに、「ファシズムに反対する」としています。
蝋山 政道;民主社会主義の提唱者です。戦後も要職を歴任しています。
賀屋 興宣;米英に対する開戦には終始反対でした。
那須 皓;軍部の台頭に危惧を抱いて、アジア太平洋地域との平和的な交流に尽力。
三木 清;マルクス主義(だけではありませんが)の研究家です。
田島 道治;新渡戸稲造・内村鑑三の門下生の中心人物で、無教会主義キリスト教徒。

いかがでしょうか。
この他にもメンバーはいましたが、軍事力で問題解決を図ろうとする人はほとんどいません。
これらの人が、真剣に日本の進む道を考え、近衛首相が実現に移そうとしながらも、結局我々の知る歴史のように流れてしまったのです。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。