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【朱熹】中国思想解説#14【朱子学】【理気二元論】

2021-08-30 06:10:48 | 哲学の窓

より 【朱熹】中国思想解説#14【朱子学】【理気二元論】を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=YMl5KtLQ19A

※関連した過去動画 【孔子①】中国思想解説#3【儒教】【論語】 https://youtu.be/d1zjKYT97YM 【孟子①】中国思想解説#6【孔孟の教え】【性善説】 https://youtu.be/b0_9EcZz6nM 【荀子】中国思想解説#8【性悪説】【礼治主義】 https://youtu.be/ZqQYA8uCkYc ※書籍 朱子学と陽明学 https://amzn.to/39X62gw

動画の書き起こし版です。

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朱熹は12世紀の南宋で活躍した儒学者です。 小さい頃から父に論語を学び、9歳で孟子を読破するなど 非常に賢かったと残されています。 超難関試験である科挙に若干19歳で合格。 国に仕えるようになると、父の友人である李侗から 道教を学んだり、禅宗について学習したりと 様々な学問に精通するようになります。 その能力から国より高官の誘いを何度も受けますが、 朱熹はその度にその申し入れを断り、神主としての仕事に固執しました。 これは、多忙な高官になるよりも神主のままでいた方が 学問研究に集中できるという信念からであると思われます。 朱熹の大きな仕事の一つとして『四書五経』の整理が挙げられます。 四書五経とは儒教の中でも特に重要とされる書物のことです。 紀元前、孔子などが六経の編集を行いました。 秦の時代に行われた焚書坑儒によってそのうち『楽経』が失伝。 秦の次の王朝である漢の時代には董仲舒が改めて五経の整理を行います。 そして朱熹はこの五経にプラスして 『論語』『孟子』『中庸』『大学』を四書と認定し 五経は難しいからまずは四書から勉強すべきと主張し 四書の注釈書なども執筆しました。(二宮金次郎が読んでいるのは大学) 以降、科挙の科目には五経よりも四書が優先して採用され 四書は広く読まれるようになります。 論語や孟子が私たちに馴染みがあるのは 朱熹の功績が大きいと言えるでしょう。 当時、儒学は受験の科目に成り下がっていました。 科挙を受験する人間にとっては重要な学問でしたが 民衆にとってはすでに形骸化した形だけの学問になっていたのです。 一方で、当時の世の中では道教や仏教が台頭していました。 朱熹はこの現状に頭を悩ませます。 「儒学を以前のように民衆に浸透させたい」 そこで、儒学を再解釈し新しい学問を構築することを試みます。 当時人気があった道教や仏教は世界の成り立ちについて言及していました。 しかし儒学においてはそれがありません。 朱熹はそこに大きな問題があると考え、 儒学に道教や仏教、また陰陽五行説のエッセンスを取り入れることで 新儒学である【朱子学】を構築しました。 朱子学においてはこの世の成り立ちを 【気】と【理】で説明します。 【気】とは物質を形づくる細かい気体状の粒子です。 我々がイメージする、原子やエネルギーですね。 【理】とは天が決める自然の法則です。 そのものが『そのもの』であり得るための原理のことです。 『本質』と表現しても間違っていないでしょう。 つまり【気】が【理】の法則によって物質としての形を発現させ 【理】の法則によってその生成と消滅が繰り返される。 このような考え方を【理気二元論】と呼びます。 そして、理気二元論は当然人間にもあてはまります。 【気】が【理】に従って人間という形を発現させた状態が我々だということですね。 このことから人間の本質は【理】であり、その【理】が天の法則であることから 孟子と同じように人間の本質は善であると考えます。 このように、人間の本質は【理】であるという主張を【性即理】と呼びます。 朱熹はこの人間の本質的な善を孟子の【五常】に求めました。 つまり『仁』『義』『礼』『智』『信』 しかし、人間は五常を正しく実行できません。 これはなぜか? 朱熹は人間の心を二つの要素で説明します。 心の本質でもある【性】 これは【理】とも【善】とも表現できます。 もう一つは欲望や感情である【情】 人間を形作っている【気】が心に作用することによって 【情】が動き欲望や様々な感情が生まれると考えたのです。 つまり、本質的に善である【理】は【気】の影響を受けて隠されてしまい そのことによって人間は正しく行動できないとしたのです。 その状態を抜け出すためには2つの方法があると言います。 一つは【居敬】 常に平静な心を保ち、意識を集中させることで【気】に惑わされるのを避ける方法です。 エピクロスが唱えた【アタラクシア】と非常に近い概念です。 道教や仏教においてはそれを厳しい修行で達成しようとするわけですが、 朱熹はそれを社会生活の中でも実現できるように構築しました。 もう一つは【窮理】 自分の外にある【理】について学問で窮めていけば 万物に共通する【理】を明らかにすることができる。 外の【理】について明らかにすることができれば、 必然的に自分の【理】についても明らかになる。 朱熹は後者の方を重視したきらいがあります。 【理】を知り、悟った人間を【聖人】と呼び 【理】を知るためのヒントは四書五経の中に全て隠されていると考えたのです。 このような修練法で聖人を目指す探究のことを【格物致知】と呼びます。 形骸化した学問であった儒学を、再度民衆の手の中に引き戻すために 意図してこのような思想を構築したと考えると、 朱熹の才能にただならぬものを感じます。 その後、国のトップが変わり『偽学の禁』という学問への弾圧を受け 朱子学が発禁になったり、朱熹自身も職を失ったりして 朱熹は不遇の中でその生涯を終えることになります。 しかし、朱子学はその後朝鮮半島を経由して日本へと伝わり、 武士道の根幹に大きな影響を与えます。 また朱子学は300年後に生まれる陽明学に受け継がれ、 それもまた幕末の維新志士に影響を与えるのです。

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