小学館 ウィーン・フィル 魅惑の名曲10号は、ケルテスのブラームス交響曲第4番です。
今回のシリーズでもっとも楽しみにしていたうちの一枚です。
バイオリンやピアノの世界では、時々、若いのにとっても上手なプレーヤが出現します。
それでは、指揮者はどうでしょう?
指揮者は楽器の演奏家とは違い、音楽を創り、音を引き出すのが仕事です。
プレーヤからの信頼感がなくては、すなわち、ある意味でカリスマ性がなければできません。
従って、「巨匠」と呼ばれるようになるには、年を重ねないとなりません。
指揮者は、天才が極めて出にくい職種なのです。
おっと、一人例外がいました。
イシュトヴァン・ケルテスという指揮者です。
私の小さい頃は、クラシック音楽といえば「運命」「未完成」「新世界」
私は、特に「新世界」にはハマリました。
その時に聞いていたのが、ケルテスとウィーン・フィルの演奏でした。
「何百回も聞きました。」というのは、決して大げさではありません。
今でも「新世界」の定番と言える演奏を、頑固なウィーン・フィルで創りあげたケルテスは、当時、まだ32歳、1961年の演奏なのです。
その後の活躍はめざましく、
アウグスブルク歌劇場音楽総監督(1960-63)、
ケルン市立歌劇場総監督(1964-73)、
ロンドン響首席指揮者(1965-68)などを歴任します。
録音面では、あのデッカで、ウィーン・フィルやロンドン響、イスラエル・フィルなどと数多くの名盤を残しました。
しかし、1973年夏、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団に客演した時、イスラエルのテル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれて溺死してしまったのです。
わずか43歳でした。
今回のブラームス第4番は、1972年、亡くなる前年の演奏です。
ブラームス4番史上、屈指の名演です。
ブラームスの4番というと、バルビローリやベームのように、枯れた、哀愁を帯びた演奏が多いのですが、4番を作曲したのはまだ52歳。
デビューの遅かったブラームスにとっては、まだ作曲家人生の中盤です。
ケルテスの演奏は、繊細ですがあくまでも明るく、自然ではありますが、オーケストラを自在に操っている感がします。
ケルテスがあの時なくならなければ、その後にどれだけの名演を生み出したのかと思うと、返すがえす残念でなりません。
天才夭折す。
指揮者界では数少ない天才、ケルテスのブラームスをぜひ聴いてみてください。