天安門事件新事実 兵士の怒りを煽り、学生を虐殺=ウィキリークス
新事実が明らかになりつつあります。
大紀元からの引用です。
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/09/html/d45067.html
1989年に北京天安門で起きた学生の大量虐殺事件に参与していた兵士が当時、兵士が学生に殺害されたということを理由に中国共産党軍側が兵士らに下した学生への「無差別発砲」命令を受けて、千人以上の学生を死亡させたことが、ウィキリークスが8月30日に公開した米外交公電に記されていた。
1990年3月26日に作成された同外交公電によると、上海の米領事館職員が浙江省農村地区に帰省した時に、村の婦人からその息子の実体験を聞かされた。その内容とは、1989年6月4日天安門事件当時、第38軍に属するその息子と同部隊兵士らは、天安門広場の南東方位から警告のために空に向けて空発砲する任務だった。しかし後に、同部隊の100人の兵士が行方不明になっており、それは学生らに殺害されたからだとの噂が流された。そこで部隊側がすぐさま人数を確認したところ確かに100人あまり減っていた。
そこで、学生たちに対して怒りを感じた兵士らは、上部からの発砲命令を受けて、迷わず前方にいた群衆に向けて銃で掃射した。その結果、千人以上の死体が目の前に現れた。死者の殆どは一般民衆だった。兵士らは死体にガソリンを掛けて燃やし、焼かれた死体はヘリコプターで撤去されたという。
公電によると、この兵士が所属する部隊はしばらくして北京郊外へ移された上、兵士らは服役期間中は軍営区から離れてはならないと規制され、命令に違反する者は特別手当が取り消されると伝えられた。しかし、この兵士は断固として1989年9月に帰省したという。
実は、当時行方不明になっていた100人の兵士は後に、全員が現れた。この兵士は自分が騙されて無抵抗な民衆を銃殺したことを悔やんだ。軍側から帰省中のこの兵士親子に対して村で同件について一切話してはならないと口を封じられたという。
天安門へ行った時には、まず銃痕を探しました。しかし、ポイントには銃を持った兵士が立っており、近づけない状態でした。
補修跡も見えます。
この記事も、おそらくは精度は高いのでしょう。
次の記事も強烈です。
温州高速鉄道事故 ずさんな事後対応が浮き彫りに 被害者「涙も出ない」
「災難は忘れたころにやってくる」。2カ月前の温州鉄道追突事故。一時集中していた世間の関心も時が経つにつれ薄れていく中、27日、中国の大都市・上海市で事故がふたたび発生した。同じ製造元の信号システムの故障という同じ原因なので、当局の体制がふたたび厳しく問われそうだ。
それに先立ち20日、ニューヨーク・タイムズ紙は温州鉄道事故の被害者を追跡する報道を出している。事故直後の救出活動のあり方や、補償、治療などの問題について、当局と対立していることが明らかになった。
陳立華さん(38歳)は事故で8本の肋骨が骨折、肺が損傷し、ヒザの骨が粉々に折れ、兄弟が亡くなった。彼の主張によれば、自分が事故で失った現金と私物は計3.75万元(約47万円)、しかし、中国鉄道部が彼に支払った賠償金の総額は220元(約2730円)だ。
事故後、陳さんは温州市の病院から故郷の福州市の比較的良い病院への転院を要求したが、結局、老人ホームに移転させられた。そこでは、彼はいかなる医療サービスも受けられず、その間、負傷した肺の症状が悪化し、体の痛みとその他の症状が強くなったという。
「泣きたくても涙すら出なくなった」「この事故で家族一人を失ったのに、なぜ、このような扱いを受けるのか。私はいま精神と肉体の二重の苦しみに耐えている」と陳さんは言う。
同高速鉄道の重大事故が発生してからすでに2カ月過ぎた。中国政府の公表では、死者は40人、負傷者は191人。政府の調査報告書は今月中に公表される予定だが、被害者とその家族たちは口を揃えて、自分たちの中ではすでに結論を出していると言っている。「中国鉄道部の幹部汚職の体制は従来から存在し、鉄道の安全運行を軽視し、事故後の救出活動もしっかりと行われておらず、その上、責任逃避を図り、被害者への対応は冷酷無情だ」という。
イタリア人のリグオリさんは旅行中に事故に遭い、愛娘を失った。「中国の鉄道部は私の娘を殺した。しかも、事故の真相を隠ぺいしようとしている。非常に軽蔑する」。
一方、中国鉄道部は依然として、高度な安全基準を設けており、救出活動を早い段階でやめてはいなかったと主張し続け、公正な調査を行っているとしている。
事故後の救出活動の混乱も非難されている。米国ノースカロライナ大学で情報科学の博士号課程を専攻している米国籍中国人レオ・曹さんは、「我々は現場の救出活動に恐怖を感じた。形容する言葉すら見つからない」と語り、次のように証言した。「彼らは大型重機を運んできて、鉄道運行の復旧を最優先にし、その場で事故列車の車体を埋めていた。しかし、車体の中にはまだ生きている人がいたのだ」。彼の両親は事故で死亡し、兄は重傷を負っている。
国内メディア・南方週末の報道によれば、鉄道部の事故処理の方針は、「一分一秒でも競って交通を復旧させること」と強調していた。事故後24時間弱で、鉄道部は同路線の全面復旧を誇らしげに公表した。
現場を収めた時刻つきの報道写真は、線路の復旧に没頭する作業員たちと、地面に90分間以上放置されていた一人の遺体が写っていた。一方、同じ時刻に、大勢の人は病院で家族の情報を待ち続けていた。事故車両に閉じ込められていた2歳の幼児は事故発生21時間後に救出された。この子の命を救ったのは、鉄道部の命令を無視し、救出活動を強行した一人の現場の幹部だった。
ニューヨーク・タイムズ紙は、「ほかの国ならば、このような行動は法的訴訟を引起こすかもしれない。しかし、中国鉄道部を相手に、これは現実的に不可能であろう」と評した。
損害賠償について、事故死亡者の家族の抗議活動により、一人当たりの賠償金総額は90万元(約1131万円)に引き上げられた。イタリアのリグオリさんはこの金額は娘の尊厳への侮辱であるとし、受取拒否を示した。それに対して、代理弁護士からは、「いかなる法的訴訟も時間の無駄に過ぎない」と助言されたという。
被害者からは、鉄道部の幹部たちの横柄な態度への非難も集中している。陳立華さんによると、賠償チームの責任者は彼の妻を罵倒し、治療代を負担しないなどと脅迫した。「まるでマフィアだった」「これは政治的な問題であり、我々にはほかの選択肢がないのだ」と彼は語った。
一方、まだ抗争し続けている被害者もいる。レオ・曹さんの両親の遺体はいまでも、温州市第二人民医院の霊安室に置かれている。彼は兄と法的解決ルートを探っている。彼の32歳の兄ヘンリー・曹さんは事故で重傷を負い、胃腸から大出血し、脾臓と腎臓が破裂、肋骨と足の骨を折った。ヘンリーさんは今、依然として温州の病院で治療を受けている。米コロラド州の実業家であるヘンリーさんは、「この事故で最愛の両親を失い、私の健康を奪った。私たち家族はどん底に突き落とされている」「私が求めているのは公平と正義だけだ。しかし、このような基本的な原則が、ここで通用するかどうかは非常に疑問なのだ」と語っている。
新事実が明らかになりつつあります。
大紀元からの引用です。
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/09/html/d45067.html
1989年に北京天安門で起きた学生の大量虐殺事件に参与していた兵士が当時、兵士が学生に殺害されたということを理由に中国共産党軍側が兵士らに下した学生への「無差別発砲」命令を受けて、千人以上の学生を死亡させたことが、ウィキリークスが8月30日に公開した米外交公電に記されていた。
1990年3月26日に作成された同外交公電によると、上海の米領事館職員が浙江省農村地区に帰省した時に、村の婦人からその息子の実体験を聞かされた。その内容とは、1989年6月4日天安門事件当時、第38軍に属するその息子と同部隊兵士らは、天安門広場の南東方位から警告のために空に向けて空発砲する任務だった。しかし後に、同部隊の100人の兵士が行方不明になっており、それは学生らに殺害されたからだとの噂が流された。そこで部隊側がすぐさま人数を確認したところ確かに100人あまり減っていた。
そこで、学生たちに対して怒りを感じた兵士らは、上部からの発砲命令を受けて、迷わず前方にいた群衆に向けて銃で掃射した。その結果、千人以上の死体が目の前に現れた。死者の殆どは一般民衆だった。兵士らは死体にガソリンを掛けて燃やし、焼かれた死体はヘリコプターで撤去されたという。
公電によると、この兵士が所属する部隊はしばらくして北京郊外へ移された上、兵士らは服役期間中は軍営区から離れてはならないと規制され、命令に違反する者は特別手当が取り消されると伝えられた。しかし、この兵士は断固として1989年9月に帰省したという。
実は、当時行方不明になっていた100人の兵士は後に、全員が現れた。この兵士は自分が騙されて無抵抗な民衆を銃殺したことを悔やんだ。軍側から帰省中のこの兵士親子に対して村で同件について一切話してはならないと口を封じられたという。
天安門へ行った時には、まず銃痕を探しました。しかし、ポイントには銃を持った兵士が立っており、近づけない状態でした。
補修跡も見えます。
この記事も、おそらくは精度は高いのでしょう。
次の記事も強烈です。
温州高速鉄道事故 ずさんな事後対応が浮き彫りに 被害者「涙も出ない」
「災難は忘れたころにやってくる」。2カ月前の温州鉄道追突事故。一時集中していた世間の関心も時が経つにつれ薄れていく中、27日、中国の大都市・上海市で事故がふたたび発生した。同じ製造元の信号システムの故障という同じ原因なので、当局の体制がふたたび厳しく問われそうだ。
それに先立ち20日、ニューヨーク・タイムズ紙は温州鉄道事故の被害者を追跡する報道を出している。事故直後の救出活動のあり方や、補償、治療などの問題について、当局と対立していることが明らかになった。
陳立華さん(38歳)は事故で8本の肋骨が骨折、肺が損傷し、ヒザの骨が粉々に折れ、兄弟が亡くなった。彼の主張によれば、自分が事故で失った現金と私物は計3.75万元(約47万円)、しかし、中国鉄道部が彼に支払った賠償金の総額は220元(約2730円)だ。
事故後、陳さんは温州市の病院から故郷の福州市の比較的良い病院への転院を要求したが、結局、老人ホームに移転させられた。そこでは、彼はいかなる医療サービスも受けられず、その間、負傷した肺の症状が悪化し、体の痛みとその他の症状が強くなったという。
「泣きたくても涙すら出なくなった」「この事故で家族一人を失ったのに、なぜ、このような扱いを受けるのか。私はいま精神と肉体の二重の苦しみに耐えている」と陳さんは言う。
同高速鉄道の重大事故が発生してからすでに2カ月過ぎた。中国政府の公表では、死者は40人、負傷者は191人。政府の調査報告書は今月中に公表される予定だが、被害者とその家族たちは口を揃えて、自分たちの中ではすでに結論を出していると言っている。「中国鉄道部の幹部汚職の体制は従来から存在し、鉄道の安全運行を軽視し、事故後の救出活動もしっかりと行われておらず、その上、責任逃避を図り、被害者への対応は冷酷無情だ」という。
イタリア人のリグオリさんは旅行中に事故に遭い、愛娘を失った。「中国の鉄道部は私の娘を殺した。しかも、事故の真相を隠ぺいしようとしている。非常に軽蔑する」。
一方、中国鉄道部は依然として、高度な安全基準を設けており、救出活動を早い段階でやめてはいなかったと主張し続け、公正な調査を行っているとしている。
事故後の救出活動の混乱も非難されている。米国ノースカロライナ大学で情報科学の博士号課程を専攻している米国籍中国人レオ・曹さんは、「我々は現場の救出活動に恐怖を感じた。形容する言葉すら見つからない」と語り、次のように証言した。「彼らは大型重機を運んできて、鉄道運行の復旧を最優先にし、その場で事故列車の車体を埋めていた。しかし、車体の中にはまだ生きている人がいたのだ」。彼の両親は事故で死亡し、兄は重傷を負っている。
国内メディア・南方週末の報道によれば、鉄道部の事故処理の方針は、「一分一秒でも競って交通を復旧させること」と強調していた。事故後24時間弱で、鉄道部は同路線の全面復旧を誇らしげに公表した。
現場を収めた時刻つきの報道写真は、線路の復旧に没頭する作業員たちと、地面に90分間以上放置されていた一人の遺体が写っていた。一方、同じ時刻に、大勢の人は病院で家族の情報を待ち続けていた。事故車両に閉じ込められていた2歳の幼児は事故発生21時間後に救出された。この子の命を救ったのは、鉄道部の命令を無視し、救出活動を強行した一人の現場の幹部だった。
ニューヨーク・タイムズ紙は、「ほかの国ならば、このような行動は法的訴訟を引起こすかもしれない。しかし、中国鉄道部を相手に、これは現実的に不可能であろう」と評した。
損害賠償について、事故死亡者の家族の抗議活動により、一人当たりの賠償金総額は90万元(約1131万円)に引き上げられた。イタリアのリグオリさんはこの金額は娘の尊厳への侮辱であるとし、受取拒否を示した。それに対して、代理弁護士からは、「いかなる法的訴訟も時間の無駄に過ぎない」と助言されたという。
被害者からは、鉄道部の幹部たちの横柄な態度への非難も集中している。陳立華さんによると、賠償チームの責任者は彼の妻を罵倒し、治療代を負担しないなどと脅迫した。「まるでマフィアだった」「これは政治的な問題であり、我々にはほかの選択肢がないのだ」と彼は語った。
一方、まだ抗争し続けている被害者もいる。レオ・曹さんの両親の遺体はいまでも、温州市第二人民医院の霊安室に置かれている。彼は兄と法的解決ルートを探っている。彼の32歳の兄ヘンリー・曹さんは事故で重傷を負い、胃腸から大出血し、脾臓と腎臓が破裂、肋骨と足の骨を折った。ヘンリーさんは今、依然として温州の病院で治療を受けている。米コロラド州の実業家であるヘンリーさんは、「この事故で最愛の両親を失い、私の健康を奪った。私たち家族はどん底に突き落とされている」「私が求めているのは公平と正義だけだ。しかし、このような基本的な原則が、ここで通用するかどうかは非常に疑問なのだ」と語っている。