昨日は、名古屋城へ行って来ました。
桜は、まさに満開。
この写真の右側の建物が、本丸御殿復元工事現場です。
かつて名古屋城の本丸には、天守閣の南側に本丸御殿がありました。
この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物です。
ちょうど、二条城の二の丸御殿をイメージしていただければOKです。
昭和20年5月、空襲により天守閣、本丸御殿ともに焼失してしまいましたが、多くの写真や実測図が残されており、在りし日の姿を忠実に蘇らせることが可能です。
ぜひ、数百年後に国宝といわれるような復元を期待します。
復元計画です。
赤い部分が実際の作業で、2017年の完成予定です。
平面図です。
完成イメージです。
名古屋城内では、3D映画で紹介がありました。
当時の襖絵は戦時中疎開しており、無事です。
精密な複製が作成されています。
乃木倉庫です。本丸御殿の襖絵は、空襲が始まる前からここに避難していました。
名古屋城内御深井丸(おふけまる)に残るレンガ造り漆喰塗りの平屋建て近代建築物です。
明治5年、名古屋鎮台が名古屋城内に置かれ、後に旧陸軍省に移管され、弾薬庫として建築されました。
名称の由来は、陸軍少佐・乃木希典からとされています。
写真の講習が行われており、このようなシーンが数カ所で見られました。
乃木倉庫横の庭園です。
西北隅櫓(重要文化財)です。
戦災で被害に遭わなかった唯一の建物です。
戌亥櫓とも清須櫓ともいわれ、清須越しの折りに、清洲城の古材を転用して建築されています。
扇勾配の石垣です。
姫路城や熊本城、丸亀城にも見られる石積みで、下方がゆるく上方へ向かって急勾配となるカーブがみられるように積んで行く技法です。
こうした傾斜をつけることによって石垣を高く積むことができ、さらに、石垣の内側に含む水や土の圧力で、くずれやすくなるのを防いでいます。
もちろん、攻め手がよじ登るのも難しくなっています。
場内では、名古屋おもてなし武将隊の信長が、かわら版を配っていました。
今回の名古屋城訪問の目的は、家康の町づくりです。
それ以上に、桜の美しさに目を奪われました。
西の丸展示館では、本丸御殿復元応援イベント「第五回 ステンド硝子アート 花鳥風月展」が開かれていました。
優雅で粋なステンド硝子アートの和モダンな作品が展示されていました。
桜は、まさに満開。
この写真の右側の建物が、本丸御殿復元工事現場です。
かつて名古屋城の本丸には、天守閣の南側に本丸御殿がありました。
この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物です。
ちょうど、二条城の二の丸御殿をイメージしていただければOKです。
昭和20年5月、空襲により天守閣、本丸御殿ともに焼失してしまいましたが、多くの写真や実測図が残されており、在りし日の姿を忠実に蘇らせることが可能です。
ぜひ、数百年後に国宝といわれるような復元を期待します。
復元計画です。
赤い部分が実際の作業で、2017年の完成予定です。
平面図です。
完成イメージです。
名古屋城内では、3D映画で紹介がありました。
当時の襖絵は戦時中疎開しており、無事です。
精密な複製が作成されています。
乃木倉庫です。本丸御殿の襖絵は、空襲が始まる前からここに避難していました。
名古屋城内御深井丸(おふけまる)に残るレンガ造り漆喰塗りの平屋建て近代建築物です。
明治5年、名古屋鎮台が名古屋城内に置かれ、後に旧陸軍省に移管され、弾薬庫として建築されました。
名称の由来は、陸軍少佐・乃木希典からとされています。
写真の講習が行われており、このようなシーンが数カ所で見られました。
乃木倉庫横の庭園です。
西北隅櫓(重要文化財)です。
戦災で被害に遭わなかった唯一の建物です。
戌亥櫓とも清須櫓ともいわれ、清須越しの折りに、清洲城の古材を転用して建築されています。
扇勾配の石垣です。
姫路城や熊本城、丸亀城にも見られる石積みで、下方がゆるく上方へ向かって急勾配となるカーブがみられるように積んで行く技法です。
こうした傾斜をつけることによって石垣を高く積むことができ、さらに、石垣の内側に含む水や土の圧力で、くずれやすくなるのを防いでいます。
もちろん、攻め手がよじ登るのも難しくなっています。
場内では、名古屋おもてなし武将隊の信長が、かわら版を配っていました。
今回の名古屋城訪問の目的は、家康の町づくりです。
それ以上に、桜の美しさに目を奪われました。
西の丸展示館では、本丸御殿復元応援イベント「第五回 ステンド硝子アート 花鳥風月展」が開かれていました。
優雅で粋なステンド硝子アートの和モダンな作品が展示されていました。