日本史事典.comより【共和演説事件とは】わかりやすく解説!!なぜ起こった?意味や内容・尾崎行雄が辞職!を紹介します。
目次です。
1898年6月30日に成立した第一次大隈内閣は、日本で初めての政党内閣でした。
ところが、同年11月8日にわずか4ヶ月という短期間で崩壊。そのきっかけとなったのが、共和演説事件でした。
今回は、そんな『共和演説事件』についてわかりやすく解説していきます。
まとめを見てみましょう。
・共和演説事件とは、1898年8月21日に文部大臣である尾崎行雄が演説した内容が「不敬」と批判された事件である。
・演説内容は、当時の財閥による金権政治を批判したものであった。
・この事件の影響で、日本最初の政党内閣である隈板内閣がわずか4ヶ月で退陣する。
・尾崎行雄は、明治天皇に直接謝罪するが、辞任に追い込まれた。
・隈板内閣の後の山県内閣は、政党排除の内閣を成立させた。
・山県内閣は、政党員が官僚にならないよう、文官任用令を改正した。
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