にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

踏ん張って頑張って

2024年05月28日 07時45分14秒 | 修養科
昨日は涙、涙で修養科生がひとり出発しました。
私と一時期、むったんくらぶで一緒に活動していた母子さん。
私も主人の大反対のなか、お道を通っていた時期が
長かったので、彼女の気持ちはわかるつもりです。

母子の予定が泣く泣く一人での出発になってまい、
それで、たとえ行くのを断念しても、家に彼女の求めている
幸せはないのなら、一歩前に踏み出す選択になりました。
結局、子供のため家族のため夫婦仲のため、、、自分のため。



私も涙で見送りました。




25日、主人と日帰りで長時間、電車を乗り継いでおぢばへ
帰らせていただいた。一日12時間くらい電車の中。
帰る道中、いよいよの東上線に乗っているとき実感として
「なんか電車にばかり乗ってる。そっか、日帰りだったからだ」
「もう嫌になってきたし、当分乗らなくてもいいや」
24時間のうち、約12時間乗り物に(ほぼ電車)乗っていた
計算になる。片道6時間かかるから。
日帰りのおぢばがえりのしんどさを帰宅間際に知った。


やっぱり、誰かをお連れしてのおぢばがえりは格別なものが
ある。中身を入れていく今年、初めての誰かを
おやさまがお待ち下されているおぢばへお連れしたい!!!。



今日の午後、春の期の修養科生が帰ってきます。(自宅に)

宝物はいかがですか

2022年08月27日 07時37分16秒 | 修養科
今日は修養科の交替日。所属教会から出発される方々が
いますし、3ヶ月ぶりに帰られるの方々もいます。
3ヶ月は長い。本当におかえりなさい。
長いけど、身につけたものや学ばせて頂いたことは
自分にとって大きな宝。独学ではいただけない宝物。
お金では買えないお宝を手に入れたい方はぜひ天理教の
修養科をおすすめいたします。話を聞いてみたい方は、
コメントでお知らせくださいね。




昨日、ふと思い出したことがあって、、、、
大教会に行けてないな、、、と。
大教会長さまのお顔もだけど、声も聞いてないし
お話しも当然ながら聞けてません。コロナ禍になって。




ユーチューブにお話しとか出ていないのかな。
ちょっと探してみましょう。

家族が修養科

2021年05月28日 06時18分20秒 | 修養科
oyomeとお孫が修養科へ行っちゃった。


行ったほうはいいのよ。環境が変わるから

そんなに寂しく感じない。
残されたほうが寂しいのよ。
誰かが言ってた。

本当にその通りだなって思う。
私もそうだった。炊事係で3ヶ月ふせこんでいたとき
目の前のことが忙しくて、知らないことを学ぶのが面白くて
教会の行事とか家のこととか忘れてましたもん。
私も現状に慣れるのが早いほうだから。

身重のoyomeは寂しかったのかな、、
お孫は1才だったからあまり分からなかったと思うけど。
私の妹は寂しくって、
よく空を見ていたってこの間も言ってて
この空は続いているんだなって思ったらしい。


でもなー。まとめて3人は・・・残されたほうとしては大きい。
昨日の今日だからすぐには無理だけど、
舞い上がっている(沈んでいる)気持ちをもどして、
目の前のことや一昨日まで考えていたことを思い出す作業をする。
今、おきて朝ごはんを作りながらそれをやっていた。




思い出した母の初参拝

2020年06月28日 07時31分43秒 | 修養科
昨日は拝殿奉仕の日で
一日教会に詰めてました。
修養科出発日でもあり、数人の方が出発。
お見送りしたくていつもよりも早く家を出たのに
身上者がいらっるのでさらに、早く出発されて・・・
私は教会近くのローソンの駐車場から
駅に向かう車にむかって手を振っただけ。

いってらっしゃい!!
子供が10人以上いるときいてます。7月から9月までの3ヶ月、
わたしも元気に通りたいしちょっとでも成長したいものだ。





芯の先生に
『お母さんは初参拝はいつですか』と聞かれて
即座にわからなくって記録を調べていただいた。
なんと平成5年と私と同じ年だった。私は5月。
母は8月だった。24日。なんでこの日に教会に行ったんだろうと
考えたんですよ。

そしたら分かりました!
私は修養科は平成5年の9月~11月。8月27日に出発しました。
母の8月24日ってのは出発の2日前だ。私の修養科のために理の親と
話をしてくれた日だった。覚えていたけど、あの日が初参拝なのか・・と。
当時は自分自身が教会に運び始めたばかりなので、
今ほど初参拝とかに関心がなかったんだと思う。


いま、長女が出勤した!!!



で、私の修養科を承諾してくれて帰宅した母はすぐに
父に話してしまい、大騒ぎになって私の家に両親も妹も
やってきて、、、、、、という流れになってしまう。
そもそも主人が、私の親に自分で話してから行ってくれと
条件を出したんですよ。だから、この日に母が初参拝になった。

62歳。いまの私と同じ年でした。数字のかぶりに驚きました。
私の年に娘が修養科へ行くと言い出され、
教会に話を聞きに行ってほしいと言われたのか・・・・
私のお道との出会いのおかげで母は、理の親と出会ったんですよ。
私のおかげ様です。。笑
母は理の親のことが大好きで、会うたびに手を握って
涙を流していたような気がします。


昨日は62歳の母に感謝しました。私は34歳の母子修養科。
なんだか分からないけど、娘が3ヶ月行ってきたいというけど
心配だったでしょうね。洗脳とかされるのかなとか心配で
妹も行かせたくなかったと思うよ、わたしを。
ちゃんと信仰をしていないと、送り出してくれたみんなの気持ちに
申し訳ないよね。私は初代なのだからね。

振り返ることが出来て、良かったなって思う。





            

今朝は雨。挿し木のアジサイ、ついてくれるかな。
今年のアジサイは、濃いピンクが多いです。
母が出直して、今日で11日。


            


お見送りだった

2019年05月27日 20時50分23秒 | 修養科

次男になんとか修養科の理をいただいてほしくって
かなり奮起していたのだけど、力を入れるところが違っていて
主人が動いてこそ次男が動いてくれるってことで
今回はお見送りになりました。

主人へのつとめが、、声かけが足りないってのもあって
主人は私が思うようなことは思わないようで、、、、、、
あまり会話のない夫婦だけど、今回のことでは話し合った。
けど、ここまでかと思うくらい伝わりません。主人の脳みそを
入れ替えたいくらいもどかしかったりします。

 

今日、修養科生が出発されました。
あの中にいたかった。
3番目の子供の修養科で人一人の修養科生のご守護をいただく難しさと大変さ、厳しさを実感させていただいた。すべてがそこへつながっていくのだと思った。こんなこと、、、そう思うようなことを神様は受け取ってくださるのでしょう。力を出し切ることが大事なこと。
そこへ向かう思いが弱かったのでしょうかね、、、、、、
本人は全くその気がないのだから、、最後まで。。。。
じゃ無理じゃんと人は言うでしょうけど。


締め切りから今日までの一週間は長かった。
自分の中でうまく治まりが付かなかったので、精神的にしんどい毎日。
長い暗いトンネルの中を約2ヶ月間歩いていましたし。



今日からスタートのつもりで、今日は自分なりに精一杯の一日だった。
ありがとうございました。


令和元年5月27日を忘れない。
立教だと・・・・・
これも忘れてはいけないです。(笑)