にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

ありがとうございました

2022年12月31日 22時35分50秒 | 他のおみち話
今年もありがとうございました。

今年は本当にいつも以上に色々とあったなぁ
一月から屋根・壁の工事から始まった一年でした。

来年は一月から何か決まっていることはない。
2月はほんとにほんとにどんな月になるんだろう。
今年の12ヶ月と比べてしまいそうだ。
それもいいかもしれない!!

来年はおやさま140年祭の三年千日の一年目なので
大事な年になるんだろうな。
心定めを二つ決めてあります。
今は言えないけど、、、、だんだんと明かしていこうと思います。

どうか今までと変わらず、
暖かい心でご指導いただけたらありがたく
嬉しい限りです。どうか良いお年をお迎えくださ
いね。

いつぶり?このドキドキ感

2022年12月24日 18時25分21秒 | にをいがけ・おたすけ
本日クリスマスイブで土曜日でもうすぐお昼。

ドキドキしたーー!
川越の某所に車を置かせていただき
道路に面した戸建てを回らせていただいた。
今日はあまり猶予もなくて、ダイレクトに飛び込んでいった。

最初の数軒からは厳しめにお断りしていただく。
90才くらいの男性は力の限り断ってくださった。
お子さんなのか奥さんなのか分からなかったので
少々困ってしまって、「奥さんじゃないですよね?」
と下から聞いたら違うってこと。
「変な意味じゃないよ、ごめんね」と謝る。失礼しました。
我が家の隣の奥さんにそっくりだったので、戸惑ったのだ。
「天理教なのだけど今お話し聞いてもらっても今大丈夫?」と
聞くと奥へ引っ込んだ。
誰を呼びにいったのかと思ったら長身のお兄ちゃんが
イヤホン外しながら出てきて下さって。

若手俳優の岡田なんとかさんに似ていた。
一部始終を説明してからリーフレットをお渡しした。
『点滴?』とか聞き返したのでリーフレットを見てもらったほうが
確実に分かっていただけるので、、、、、、

大学生だって。このお宅の長男さんということで
「長男はしっかりしないとですよね」『はい』
「将来の夢とか目標とかあるんですか?」『はい!』
「親孝行をしてくださいね」『・・・・・はい』
「よろしくお願いしますね!」『はい!』

リーフレットに目を通しながらキチンと応えてくださった。
すごい『はい』の返事が気持ちがよくってラクだった。
対応力があるなと感心した。
親孝行をしてねというと、大抵の若者はちょっとだけ間があく。
考えてから返事が出てくるような気がする。
親孝行なんてあまり会話に出てこないんじゃないかな。
今日は孤独感満載でにをいがけにやーーと来たのだけど、
若者のおかげさまで元気が出てきた。
ありがとうございました。

他にも足が少し悪いのかなと思うお母さんがいたので
お昼ではない時間に伺うことにした。
戸別訪問でこんなにもドキドキは久しぶりだった。
わくわくも味わうことができた。10軒の戸別訪問だったけど
有意義な時間をいただけたこと、ありがたかった。





今日はクリスマスイブ。
息子たちがいるので一応もも肉を買わなきゃと思って
毎年、、、、今年も悩んでました。



夫婦仲は超重要

2022年12月23日 19時27分02秒 | 他のおみち話
夫婦仲第一
と聞かせていただきます。
本当に夫婦仲のいいご夫婦は、かもし出す雰囲気だけで
周りの人をも幸せな気持ちにして下さいます。

所属教会の理の親がまさしくそのようなご夫婦です。



私ら夫婦はまだまだ発展途上の努力中。
子供たちにはそういう幸せを手に入れていれてほしい。
主人は夫婦は50年経ったら、空気のような関係になりたいと
考えているようだ。私には異論。それっていてもいなくても
気にならないってことでしょうか。
主人は否定していたけど、、、自分にとって都合のいい
相手って聞こえるのは私がひねくれているのかな。


私は言葉に出して相手を労わりあいたい。
言わなくちゃ分からないんだから、伝える努力は続けないと。
恥ずかしがらないで、相手が喜ぶようなことをしてあげる。
自分もしてほしいし、言っていただきたいし。

そんなのが私の理想。で、夫婦の間に神様をはさんで
理の話ができるような夫婦になれたら最高ですかね。
まだまだ私には手が届かない。



子供たちが小さな時分から、
そこに気がついて努力できていたらいいんだけど
お道を聞く前は知らなかったし、教えてもらっても
人間簡単には自覚できず自分が自分がだったし。
過去の自分に、言ってやりたいこと、たくさんあります!!

とにかくダメダメだった。
けど、必死だった。


晴れてさえいれば!!

2022年12月23日 17時42分48秒 | にをいがけ・おたすけ
今日は朝から風が強かった。けど晴れていて
嬉しかった。晴れていさえすれば温みがいただける。
服を重ねれば寒くなくなる。

今年最後の祭典日が昨日おわった。
三味線につかせていただいた。一番最初の下り部分だった。
コロナ禍になって三曲の配置が離れた。
地方も琴も胡弓も聞こえにくくなって、私はゆううつだった。
補聴器をしないと聞こえるか不安だったことから
おつとめ中も補聴器を不安から左耳に装着していた。



けど今月あたりから男鳴り物も女鳴り物も従来の位置に
戻して置かれている。にも関わらず、流れのままに

補聴器をつけたまま神床に上がってしまっていた。
上がったとたんに音がだんだん遠のいてきた。
電池が切れた。そろそろ電池がなくなると想定ないのことだった。



音が遮断されたまま、よろづよ~、一下り、二下り、三下りと
右の耳だけで三味を奏でた。元々聞こえないわけじゃないので
つとまった。つとまったけど、、、、変な感じだった。

左側だけ音が処断されているので、変な感じだったし
自分じゃないみたいな、、三味と一体感を感じにくいおつとめになった。
トラブルだけどトラブルではない。
右耳だけでもしっかりと働いてくれる。感謝だった。


今年も一年間ありがとう。来年も三味線を面白がって
楽しみながら仲良く弾いていきたい。
調弦係りの方々、今年もお世話になりました。
お琴ももっと視野に入れて来年こそは祭典日に
使っていただけるように練習させていただきたい。


にをいがけは1時間半くらい回らせていただいた。
防寒していたのでそれほど寒さも感じなくって、、、
とにかく晴れていたので!!!大丈夫。
話をきいてくれる人はいず。でも、森林公園駅まで
歩いて行き着いてしまったのには我ながら驚きだった。

この間まで足が痛くって一歩踏み出すのにも苦痛だった。
おさづけしていただいて、またこんなふうに歩くことが

できるようになれた。感謝。


19日に東松山市の清水さんに会いに行ってきた。
19日はずっと曇っていてとても寒い日だった。おさづけを
と思ってのことだった。暖房もつけないで寒い中、ひとりで
いるのも孤独で辛そうだった。おさづけは取り次げたけど
気になっていて、、、、今日はたまにはいいかなと思って
自販機のお汁粉でちょっとでも温まって頂きたくって購入。

今日はうって変わってにこやかな表情になってくださり、
お汁粉も嬉しそうだった。
「甘いの好きそうだったから・・温まってください。。」と
言うとなんか言ってた。(笑)
文句は言ってなかったでしょう。はは・・・
(玄関から)寒いのが入るから、今日はこれで帰りますね。
また来ます。」と言い残して私はそのままにをいがけに。

喜んでいる清水さんの表情を見て、私のほうが温めていただけた。
これも”人たすけたらわが身たすかる”の原理でしょう。
良かった!!最近の私のテーマになっている。

考えてみたら、これって大ごとなんかじゃなくて身近なことだ。
気がつかない規模で毎日のように自分の周りでも
行なわれていると思う。
そのことに気が付けて良かった。今気がついた。今日、
なにも歩いた話のタネがないと思っていたけど、
そんなことないね。話のタネにもランク付けなんてないし
そう思いたい。お道の人は聞き上手にならないとです。

ありがとうございました。





私がこの家で初めての人だった。

2022年12月12日 17時44分54秒 | 祭典日
昨日は上級の納めの祭典日。
参拝に行かせていただいた。祭儀式が始まる前から
拝殿に入れるのはいつぶりでしょうか。
今月は所属教会への神饌ものが大根ではないので
早めにお供えできたから、晴れ晴れとした気持ちで

早い時間に行かせていただけた。


会長様の御挨拶で最後のほうにとても印象的な
お話しを聞かせていただけた。”お道の日記”を急いで
開いて書き留めた。忘れてなるものか!!
今の私の心に響きました。


「石は、けられてけずられていつか丸くなって
人間に拾ってもらえる石になります」
会長様は袂から丸くて白くてかわいい石を出してみせて下さった。
日常的なことをお道のお話にのせて下さるので
とてもぐっときました。

また、「生きていれば色んなことがある。
そこに神様の思召しがあるとすれば必ず受け入れられるはず」
生きていれば色んなことがある。
私は耳の身上でいまだに苦しいときがある。
傷つくときがある。けど傷ついてなんかいないと思えば
平気になってくる。それが普通のことだから。





29年ほど前の一番最初の修養科のとき、
教養掛の先生が私に言って下さった言葉があった。

『あんたは素直だから耳のご守護をいただけるね。』

この言葉をそのまま受け止めて、3ヶ月通ってみたけど
聞こえるようにはならなかった。その修養科のときは
補聴器を持っていない頃だったので、聞こえないことが
多かったはず。けど、いまよりも難聴度が低かった気がする。
聞こえにくくって困ってはいたけど、今と比べたら聞こえていたはず。

授業はよく聞こえていなかった。
(つなぎのないまま)なんとか3ヶ月を伏せこませていただいていた。


教養掛の先生はどういう意味で言って下さったのだろう。
そのことを教会の拝殿で理をいただいた記憶もなく、
そのままになっていた。

教養係りの先生は、聞こえにくいのが解消されると
言った訳ではなくって、その言葉の意味をこれから始まる
お道の信仰のなかに自分でみつけてくれたら、とか
想って下さっていたのでしょうか。
年限と共にそういうことを考えました。





明日もあさっても平気なふりして、よく分からなくても、
神様の御用をさせていただき生きていく。(家の中でも主人の前でも)
聞こえる声を拾って受け入れて理解する努力をして生きていく。

聞こえるとか聞こえないとかそこに視点を置かないように
教友の中で立ち振る舞う毎日。




にをいがけのときは、耳がどうのこうのって
あまり気にしないでいられます。聞こにくくて残念に
思うことはしょっちゅうだけど、苦しんだりしない。
悩むことはあるけど、仕方がないと諦めちゃう癖がついた。
切り替えが早いってやつです。
外にいるときのほうがラクに通れます。



今日は初めての家の方と語らいました。
私よりは上のご婦人。70代はじめの人懐こそうなおばさま。
お断りされたあとの会話。
「天理教の人は回ってきますか?」
『天理教?この辺は来ないんじゃない?』
「良かったーー」
『良かった?!』
「はい。天理教来ないんじゃ私が初めてってことですよね。
珍しいんですよね!天理教。」
『そうね。』
この家にとって私は初めての天理教の人間ってことでわくわくしてきた。
「陽気ぐらしなんです。」
『え?!』

「生きていたらいやなこともあるけど、どんな中も喜ぶ心で
切り替えて切り替えて通りましょう。」

こんな雑な説明では分かりにくいだろうな。でも勢いです。
聞いてくれていた奥さんはそろそろ早く
話を終わらせてほしいだろう。なので、
「陽気ぐらし、覚えてといてくださいね」と仕切った。
うんうんと受け入れてくれっぽかった。お互い何度も

頭を下げ、お礼をいいながら、家を後にした。

今日は気持ちのいい天気で冷気が耳元をすり抜ける。
気持ちが良かった。声もとてもよく通っていたし
話がラクにできました。ありがとうございました。
時間で仕切ったので大して出来ていない。昔この道、

この家に来たことあるな、と思う場所を今日出来た。
ありがとうございました。