用事があって川越市まで行ってきた。
今日は足がだるくって、、けどいつも足が疲れてます。
階段を登ろうとするとよく分かる。今日も歩いてて、
ずっと移動をしていると足の疲れを感じてしまう。
そんなときはもっと若い時分は後ろへ足を蹴り上げていた。
道を歩いてても周りを見てから、足首をつかんで「くいっ」と
持ち上げていた。こうすると、足の下のほうに溜まった老廃物が
なくなる気がするし足も軽くなる気がするんだよね。
あまりしなくなったけど、今日は交差点の信号待ちでやっていた。
そんだけ足が重かったから。足取りも自分で感じるよりも
重そうに見えていたんかも・・・・・
気持ちが身体を動かしていたような気がする。
戸別をしていたら、出会った方が親はやっていたけど
実家には誰もいなくなった。兄弟は大勢いたけど
誰も受け継いでいないよと話をしてくれた男性にあった。
両親は信仰心があったものの別の宗教をやっていたらしい。
確かに子供に信仰を移すのは難しいことだと思うけど
「どうして天理教の信仰を受け継ぐ人がいなかったんでしょうかねー」
と聞いてみたら、
『天理教じゃなくったって他にもっといいヤツがあったんだろうよ』
と。そうかもしれないなって、なるほどと思った。
自分は初代で引き寄せられているし
自分の代で終わりだとしたら「なんの為にいままで・・」と
そんな複雑な思いをさせられるんだろうな。
自分は自分のにをいがけおたすけを精一杯させてもらって
いたら、それでいいんだと思えるならそれでいいんでしょうか。
頑張って通った道であったならなおさら、子供にも、、
贅沢言わないから誰か一人でもいいから
しっかりと自分(私の)のバトンをつかんでほしいなーー。
せめて3代まではつながっていただきたい。
他宗教の方のお家へ行ってしまった。そこの家の
若いお母さんらしき方。最初に信仰を持っているって
言ってくれたら良かったのに言わなくって
話をしているうちにだんだんと分かってきた。
お子さんが熱を出しているとのこと。お道でいう”おさづけ”の
ようなものがあるのかと伺うと無いらしく
「多系統かもしれませんが、もし良かったらお子さんの熱が
早く下がってくれるようにとお願いをさせてもらってもいいですか?」
”おさづけ”を取り次がせていただけないかと聞いてみたのね。
『いいです』ときっぱりとお断りされた。
「そうですよねーーー」と、私もそう返されると予想していたさ。
これで良かったんだ。笑顔でさよならをした。
どことなく凛とした空気感の方だった。
そんなこともあったり、渡したリーフレットの言葉に刺激を
受けてくださった70代の女性もいてね、心の向きを変えて下さった。
足取りは重かったけど、心は軽く対応が出来たのかな、、、、
おやさまがそうさせて下さったんだ。
あまり足が、、、だったので、母の病室へはどうしようかなって
思いながら教会から帰っていた。実は妹も同じようなことを
感じていたらしく、向こうからのラインで一緒に行くことにした。
左手の甲をベッドの柵にぶつけたらしく、湿布をしていた。
今日のことでまだ痛みがひかなくて、辛そうだった。
今日はその部分におさづけを取り次がせて頂いたのだけど
母にクリームをぬってあげていたから、手のひらにクリームが、、、
洗っても落ちないと思い、その手でおさづけを、、、
申し訳なかったなって思った。落ちるか落ちないかは
洗ってみなくちゃ分からないのにさ・・・・・・反省。
明日から青年会団参がスタート。主人はおぢばへ呼んで
いただけなかったのは、私の頑張りが足りなかっただけじゃなくって
両日に主人の姉のご主人さんのお通夜と葬儀が入ってしまう、
そういうことだったんでしょうか。
出直されたのは今週の月曜の夕方なんですよ。
友引も入ってしまったらしく、週末になったそうだ。
神様のお計らいなのでしょうかね。。。