にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

アルバイトじゃないってば

2008年01月31日 20時23分25秒 | にをいがけ・おたすけ

誘い合わせて今日は、2人でにをいがけに。。

2人、話をした人がいました。
ウチの教会へ5~6年ほど前に行った事があるという方。
お手引きの方の名前は覚えていないと言ってました。
嬉しかったです。
そのときにもらったチラシを今も大事にして下さってて、
時々思い出して読んでくれているそうです。
『いいこと書いてあるよね~』とのこと。
熱心に話を聞いてくれました。
今日は風が強く冷たかったので、
もっと暖かい日にまた行かせてもらうことになりました。

もう一人は、82歳の男性で、すごい。。いまにも社交ダンスを始めそうなくらい、
姿勢のいいおしゃれな素敵な方でした。
戦後の大変な時期に、「たすけあい」を呼びかけて、助けてくれたんだって。
天理教の人達が・・私たちの先人が。。
当時17~18才だったその方は、
天理教はいい宗教だという印象を持ってくださっていました。
自分は仏教なので信仰は出来ないけど、天理教のことは尊敬をしてますよ。
胸を張って頑張ってくださいと言って下さいました。
先人のまいた種がこんなところにも。。長い年月がながれて、私の耳に届きましたよ。ちゃんと届きましたよ。

私のことを、バリバリの布教師とは見ていなかったようで、、アルバイトかなんか。。
微妙~~~~~私は、ようぼくじゃ!!

かなり励まされました!!
早歩きで勇んで呼び鈴押してきましたよ~~~~笑(*^。^*)
ありがとうございました。

 

白鳥も見てきました!!!
癒されます、美しさに。。

 


昔の自分の姿

2008年01月30日 21時14分23秒 | 他のおみち話

拝殿奉仕だった。

自分が長女の子育て時代どう育てていたのかを聞かれた。
正直古い扉を開けるようで、すぐには思い出せなかった。
急に長女が2歳位のときの育児日記を最近、
押入れの片づけをしてて発見したことを思い出した。

日記を読んでいるうちに、自分がいかにダメな母親だったかを、
まざまざと見せ付けられて、長女に申し訳なくて泣いたことを話した。
いつしか私は拝殿をしながら、泣いていた。
どんどん昔の自分を思い出し、どんな感じで子育てをしていたかを思い出してきて、
思い出したくなかったのに・・・正直に話した。

 

こんなふうにはっぴを着て神様のお話をしたり、
新米ママさんに子育ての話や夫婦仲の話をさせてもらっている自分だけど、
かつては本当にどうしようもない母親をやって通ってきたんだな~~って。。
ひょっとしたら、教会に来てる人はほとんどがそうなのかもしれない。
自分のくせ性分で子育てをしてきて、どうしていいか分らずに毎日、
子供と向き合って、感情をぶつけてきたのかもしれない。
今日はこんな私の話を聞いて、何か感じてくれたようで良かったな。

おみちがなかったら、あの頃のままの自分でいたのかなと思うと、
なんともいえない気持ちになってくる。

辛いけど、あの育児日記をまた読み返してみようと思う。



勇めるコツ

2008年01月29日 20時05分39秒 | にをいがけ・おたすけ

今日は、みんなでにをいがけに行きました。

東松山組と地元組に分かれて、、私は地元組でした。
子供の同級生のお家にぶち当たりましたが、あいにくお留守でした。
ホッとしました。。笑
私は、きっちりときれいに並んでいる住宅より、
分りにくくて道に迷うそうになる初めての場所っぽい場所が好き。
きれいに整備されている住宅は、みんな同じお家で飽きちゃいますよね。
「飽きる」なんて表現はよくないけど。。いうなれば、変化がなくて面白みがないんです。

面白みがないと、にをいがけが更にイヤになってしまいます。

今日、にをいがけをしながら思いました。
もし今勇めない人がいたら、にをいがけを勇んでできるコツを教えたい。
それは、とっても簡単で誰にでもできますよ。
小さいお子さんと一緒でない空身の人だけしかできないけど。。

 

 

知りたいですか?

 

 

 

 

 

それは・・・

 

 

 

 

 

 

 

なんと、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早歩きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとかよ~~~と思われた方、いますね。。笑

 

いつもの自分の速さより、意識して足を早く動かして歩くと、
力がわいてきて、勢いも出て戸別とか大きな声が出ますよ。
いつものことなので、気がつかなかったけど考えてみたら、
早く歩くと勇めるなって。。。ぜひお試しあれ。。


ふたつ目の誕生日

2008年01月28日 20時23分08秒 | おぢばがえり


おさづけの理拝戴って入り口と出口が違うじゃないですか。


「呼び出し場」で分かれて、終了予定時間の19時半に迎えに行った。
教祖殿の前を横ぎり、祖霊殿にむかう廊下、手前の角ににそこはあった。(と記憶してますが)
数十人の方が廊下に正座して待っていた。
立っている人達もいて、今か今かと待っていた。

身内でもお手引きでも自分以外の人間がおさづけの理拝戴して、
ようぼくとして生まれ変わってくる瞬間を初めて見た。
本当にすがすがしい顔をして、皆さん出てきたのだ。
長女も例外ではなく、マイルドになった気がした。


自分のときもこんなふうに誰かが待っていてくれたかな~と思う。
修養科中なので誰もいなかったかと思うけど、私の知らないところできっと、
ようぼく誕生を待ち、喜んで下さっていたのだろう。

あのときのあの感じ、感激は忘れまい。
まだ一昨日のことだった。。。笑
気がつけば、外まただった長女もようぼくになってきたら、幾分、
本来の内股に戻っていた。笑

次は、誰のようぼく誕生に立ち会えるのだろうか。。楽しみになってきた。
長女のもうひとつの誕生日は、立教171年の1月26日となった。



一生に一度の

2008年01月27日 23時03分07秒 | おぢばがえり


おぢばから戻りました。
今朝6時頃、夜行バスから降りまして7時前には家に帰りました。

もう一生忘れられないおぢばがえりでしょう、良くも悪くも。
結果からいうと、無事長女はおさづけ拝戴となりました。
心底ホッとしました、そうならせていただけたことに。
ただ、予定だと25日のはずだったのだけど、結果は昨日の26日、
春季大祭のあと、となりました。

 


理の親がおぢばへ向かう車がなかなか到着しませんでした。
席札は理の親が。。。。道が大渋滞で動かなかったそうです。
私と長女は、夜行バスだったのでお昼の11時には詰所に入っていたんだけど。


なので・・・翌26日となったのでした。
26日だとその晩の夜行で帰る予定だったから、
おさづけがいつ終るかによって近鉄に間に合うのかとなってくるし、
京都でのバスの発車時間に間に合うのかとなる。

同じ部屋の方たちも会長様奥様若先生、また係りの方も気をもんでくださいました。
もう神様にもたれるしかないと思ってはいましたが、
それでも、なんとか間に合いたいと願っていました。

 

自分のときは、修養科のときおさづけを頂いてしまったから、
大勢の中のひとりという具合で、あまり感動も。。ほとんど感激もなく、
流されるように終ってしまったように思う。
でも、長女の場合は違っていたと思いました。
一席一席おぢばに運び、ようやくおさづけだと思っても、御本部の事情、
諸事情など本人以外の事情で、おぢばには帰ってもおさづけは手に出来ませんでした。
本人以外の事情とは言っても、本人なんですけどね。苦笑
それが2~3回ありました。
でもそのとき戴けたとしても、私は一緒に帰ってはやれなかったと思うので、
それはそれで良かったのかと思いましたが。



今回、ようやく私も立会いでおさづけが戴けると思っていたのだけど、
私が予定にしていた日ではありません。
本当に、長女がおさづけを戴く事がいかに大変なことなのか、
心底考えさせられました。。
奇蹟に近いのかもしれません。
自分のときが簡単だったから、長女ももっと簡単に頂けるものと思うのに、
そうではなかったことに親神様の思いの深さというか、思いの行き先を考えました。



「なんで?」
「どうして?」



おみちの辞書には、その言葉はないと聞かせていただきますが、
ついついそう思うんです。
深すぎて分りにくかったり。。

 

 

 

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長女は、女の人が着るおつとめ着を身に付けることを
とても嫌がっていました。自分は女ではないと思っている長女だから。
でも戸籍では女ですし、回りの誰もがそう思ってきました。

そのことがあって、いままでなかなかおさづけの理を頂戴する機会を
頂きませんでしたが、今回、「着るから」ということを決心してのおさづけ。
喜んでおりません。
キレイなのに。。。憮然としている様子でした。
母と子の記念写真もイヤイヤで、使い捨てカメラで一枚撮っただけ。
室内だったから最悪な出来。

そういうことがなおさら印象深い記念となったでしょう。
イヤイヤでも喜んででも、みな一緒。
ですが、私が思い描いていたのは、明るい太陽のした、教祖殿をバックに
嬉しそうに笑って写されている長女の晴れ姿でした・・・・・
自分がそうでしたから。

ま しかたない。
良かったです。長女もようぼくです。
神様に使っていただける木材にならせていただける日がきますように。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・追記でした。

 

 

 

今回のことはまた明日、ゆっくり書かせて頂きたいと思います。