拝殿奉仕の御用。
眠かった。
・・・・・スミマセンが眠かった。
けど、前に座ってくれた人の話は眠くても
がっつり聞かせていただいてます。
拝殿の常識です。
3年前の実家の母と一緒の修養科同期生から
時々、連絡があってね、嬉しい気持ちになる。
一度は母を家まで連れて行かなくてはと思ってて
なかなか実現がしない状態が続いてる。
お互い元気なうちに、、、という願いのような思いだと思う。
この春はなんとか!!そう思ってます。
私が言うのもなんだけど、お助け心がないと代を受け継いで
いかれないのかもしれない。
成り行きでなんか、、すぐに行き詰まりそうだし。
自分だったら、
お助け心さえ持ち続けることができたら、
成ってくることを喜べたら、
あの人のことこの人のこと、
いつもいつも誰かの為にって気持ちを持てたなら
代は継承できるはず。と思う。
変わらない心でいるのは、難しかもしれないけど
歩いていさえいれば・・・・勇んでいる日も
勇んでいなくても、親の声を頼りに
コツコツと歩かせていただいてさえいたら
なんとかなるんじゃないでしょうかー。
甘いかな、、、、、
そこまで行くことさえ簡単じゃないから
そこまで行くことができたら、ひょっとして。。。
努力の過程を喜んでくださる親についているのであればこその話ね。
私なんかが言うのもなんだけど、おこがましいけど。
みつかった試しがない。
去年の11月に路上で声をかけていただいた
婦人科系の身上の婦人さん。
きちんと住所を教えてもらえばよかった。
そのときは、「わかる」と思っても受け取り方はそれぞれ。
実際に行ってみると、想像と違っているのだ。
見つかった試しがない。
今日も、探せなかった、、、、、、
いつもいつも、見つかった試しがない。
顔も知らない会ったこともないけど
教友たちが読んでくれているのかなって
思うと、書かなくっちゃって思うんだよね。
あまり手応えはないんだけどないんだけどさ。
昨日は、いつもの布教地で出会いがありました。
お道の3代目さんで、その方は70さい。
子供の時分はずっとお母さんとしっしょに布教をしていたとのこと。
『布教って大変ですねーー』
しみじみと語ってくださった。
カラダの弱かったお母さんも辛い道中だったらしい。
あまり、お道の方とお会いしないのに、
まさにおやさまの時代から続いてきている、
代を重ねて通られてきた方と会わせていただいたのは初めてですかねー。
3代目ともなると、
初代のような、、、、、身上事情を助けていただいたとか、
悩みの元があったわけじゃなくて、おやおやが信仰していたから
ということだけでは、代を受け継いでいこうという
たすきを受け継ぐ意欲がだんだんと薄くなってしまうんですって。
自分を導いてくれた親も出直し、自分も歳をとる。
環境も変わる。いろんなドラマもあったんでしょう。
代を受け継ぐ困難さを教えていただけました。