にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

御礼とお願いとひのきしん

2011年07月31日 18時21分33秒 | おぢばがえり

明日から、こどおぢのためにおぢばへ帰らせていただく予定です。

不足いっぱいで行くことに決めた今年のこどおぢ。

考えてみたら、御礼とお願いの意味をこめなくてはならないおぢばがえりだった。

家の受け渡しがうまくいきますように、引越しもスムーズに行かせてもらえるように、と。

若い長男にふさわしい年相応(でも大借金だよね)の物件がみつかったこと。

(はたして、その物件で間違いが無いのかどうかは半信半疑だけど、長男はいい感じなの。)

購入にまでこぎつけることが出来たことに対しての御礼。

主人に向かい合うために、これまで長男に力を与えてくださり

感謝の言葉を言わせていただくべきおぢばがえりだった。

神殿に教祖殿に行かせてもらうんだ。

ご立腹の主人だったけど(話をしたのに今日、初めて聞いたようなリアクションで、参った、、)

じっくり私のその思いを話したら、

ほんのちょっぴり・・・すこーーしだけ・・・気のせいかもしれないけど、、

収めてくれたような、、怒りが静まったような。。

 

信仰以来、ずっとおぢばがえりについては、主人にきついことを言われ続けてきているので

「やっぱやめとけば良かったなぁぁ。来年もそうそうに団参あったらどうしよう」とか

後悔の念がこみ上げてきたんだよー、今日も昼間なんか。

費用もだしてくれてないし、、、色々とあるけどさ。

写真かかりを精一杯、させてもらってきましょう。

誰か、私を見かけたら声をかけてくださいな。

 

 

 


今年はいつもとちがう”こどおぢ”だって

2011年07月29日 20時06分52秒 | おぢばがえり

今日は上級教会の祭典日。

途中にをいがけをさせてもらってから、行かせてもらいました。
良かった、、歩けて。。。

上級の会長さんがご挨拶の時間におっしゃってました。

『今年はいつもと違うこどもおぢばがえりですね』と。。

数日前にマンネリしているって私は記事にしました。
気持ちはさほど変わってなくて、
マンネリはマンネリだなって思っていたし。

『今年のこどもおぢばがえりは宮城の大震災の被災地の
子供たちが大勢招待されて行われます。』

そうだった!!そうでした!!すっかり忘れてました。
時報の手配りをしているくせに、ほとんど読んでない私。
こういう旬の情報にうとくなってますね。
知ってはいましたよー、所属の会長さんが教えて下さっていたし。
いつものこどおぢとは、一味ちがった感動を頂けるかも知れませんよ。

 

5ヶ月ぶりのおぢばとなります。正直うれしいのだ。

境内かかりに行かなくっちゃ。補聴器見つかってないから、一応。

教祖殿に行きたいです!!なんだか泣けてきました。

 


マンネリ気味の自分に活!!

2011年07月25日 20時18分30秒 | おぢばがえり

みなさん、お勇み様!!。

私は今日は数日振りに歩いた。

教会から1時間ほど、駅方面にむかって。。

ここのところ、私もいろいろと忙しくうごかせて頂いた。

にをいがけ以外の親の声の御用もあるのだ。

 

もうこどもおぢばがえりまで1週間もない。

今日は拝殿奉仕の日。時間を持て余していた私は、苦痛の中にいた。

去年のかなー、数人の方がこどおぢのビデオ鑑賞。。画像をみたら、

気分がめいってきて、もう限界だと思って、

拝殿なのににをいがけに出させていただく事をお願いした。

外に出たかったから。

こどおぢって、私の中ではあまりいい印象がない、、申し訳ないけど、、

初席がこどもおぢばがえり。大変なだけの3日間だった記憶がある。

こどおぢ=写真係り=暑い中を駆け回る=辛い=もうイヤになってくる=でも、ひのきしんだ!

 

そんな葛藤のくり返しの10数年間。

鼓笛隊やバトンのレオタード姿の子供たちの成長はありがたいけど、

写真で毎年撮っていると、正直マンネリ気味に、、、、、

子供たちの顔ぶれは成長に応じて、変っているのだけど、

私には同じに見えるのだ。なんともいえない感情がこみ上げてきて

今日は、いたたまれなくなったのかもしれない。

 

 

今年も子供たちの熱い演奏演技に親たちは、感動させられるのだろう。

私は親じゃないけど、最前列で涙を流しながら、子供たちを追っかけている。

私の10年来の御用が、そんな御用だから。

 

 

 

 

 

 

 


人の見方と自分の思い

2011年07月20日 23時43分07秒 | にをいがけ・おたすけ

ある人は、わたしのにをいがけ報告をきくと、

楽しそうだって言う。自分もそういうにをいがけがしたいって言ってくれる。

知らない人とそんなふうに和やかに、話がしたいって言う。

 

わたしは、嬉しくないし、そうかなーって思う。
甘いよなーって思う。

人との出会いがあって、会話で心がつながって、、、そんなにをいがけが
できても、その人にために自分がなにが出来たのか、
分らないからだ。神様の話をしっかり聞いてくれたわけでもなく、
身の内話をじっくり聞かせてもらえたわけでもなく、
少しの時間をともに楽しく過ごせただけで、
今、分かれたら、もう会うこともないかもしれないのだ。

それでもいいと思っていたこともあったし、
そう思うことも今でもあるけど、プロのようぼくなんだから
もっとしっかりと、おみちを知ってもらいたいし、
教会へきてほしいし、助かるためにはおぢばへ帰っていただきたいと思う。
そう導けるお手伝いをさせてもらいたい。

本当の助かりは、おぢばへ帰って頂いてからこそ。

その足がかりになることを自分が出来てないんじゃないかなって。

ちっぽけな自分だから。

どんなこと考えても思っても、歩いたからこそ分ることなのだから
それはそれで、素晴らしいんだと分っているんだよな。

そうはいっても

やっぱおぢばへひとりも多く、お帰りいただきたいっすよね。

そういう人、見つけたいー。


周りが気にならないのだ

2011年07月20日 23時16分25秒 | にをいがけ・おたすけ

上級の祭典日。

台風6号の影響で風がつよくなったけど、わりと穏やかな今日。

上級教会へいくと、修養科の同期など
部内教会の顔見知りの方々に会え、話をすることができるから
たのしかったする。いつもではないけど、、今日は話せた。

17年前の修養科の同期が、
私の長女のことで話しかけてくれたのだ。
長女のことを気にかけてくれる唯一の存在なので、ありがたく思っている。
ご主人が出直されて寂しいでしょうに、
力も抜けてしまっていたでしょうに、、復活できたのかな。
もともと御用に頑張っていた方だったので
そちらに矛先が向いたのなら、ホント良かったのだけど、そのことは
あえて私も話題にしていないのよ。
元気そうな彼女の姿をみると、安心できるから。。


ここのところ、ずっとだけど。

誰かが初めての方を教会にお連れして、名前が書かれてあっても
あまり刺激的に思わなくなってきた。
興味がないっていうか、、『私も!』って思わないって言うか・・・
これって良くない症候群でしょうかねー。

周りが気にならないってすごいことだと思うよ。
よく、なにかに心を使って不足したりすると
回りの細やかなことが目に付いて、気になってしまうものだ。
誰かがああ言った、こう言った。なにしたこうした、、こういうことが
いやらしく見えてしまったり、心の中でモヤモヤするものなんですわ。

けど、今の自分は平気だ。

あんま気にならない。

知らなくても焦らない。

これって殻にこもっているってことか?

もともと負けずキライなので、そういう意味では野心はあるけど
人と競う気はさらさらなくなってしまった。
もはや自分だよね、戦う相手はね。

人がお連れするのは気にならないけど、
自分が誰もいないってのは、非常に気になるもんだ。
真剣に声をかけて、歩かせてもらっていれば、そういう相手を
与えて頂ける物だと思うけど、、、神様は放ってはおかないのでしょうけど、
私に限っては、無理って気がしなくもないよ。

にをいはかかっても、そのあとが進まないのだ。
連絡先を聞いても、携帯に出てくれないし、家は分らないし。
一度でも来てくれた方のお宅へ行って、近況を聞かせてもらうのも
大事なことだよな。。。住んでいるか不明だし、
マンションの部屋のナンバー忘れている自分だ、、、、、、

 

ううううう、、(頭を抱えている・・・・)